本編プリンスガチャ
◆ 恋の予感
『明るすぎる満月』
◇ 恋の芽生え
『忘れかけていた夢』
◆ 恋の行方 ~夢見るプリンセス~
『君のための曲』
◇ 恋の行方 ~恋するプリンセス~
『ラストプリンセスパーティーを君に』
◆ 恋の秘密
『名前を呼んで』
◆ 恋の予感
『明るすぎる満月』
―……欠けていない月が浮かぶ夜
(あー…今日は満月か、ちょっと明るすぎるけど、まあいーや)
月灯りがさし込む廊下に座り、手にしていた本を開く。
もう何度も読んだ文字に目を落としたその時、足音が聞こえてきた。
アラン 「……ノア、こんなとこで何してんだ」
どこか急いでいるアランを見つめ、空を指差した。
ノア 「上」
アラン 「上?」
ノア 「今日は満月だから、ここで本を読むのにちょうどいい」
アランは一瞬だけ視線を月に投げると、どこか呆れたようにため息をこぼした。
ノア 「それより、アランはどーしてそんなに急いでるの?」
アラン 「吉琳を探してんだ…ったく」
その瞬間、パレードで子どもの前に飛び出して行った姿を思い出す。
ノア 「吉琳、昼間のことでジルに叱られたの?」
アラン 「いや、ジルも怒ってはいねえよ。プリンセスの在り方を諭しただけだろ」
アラン 「間違ったことはしてねえわけだしな」
(間違ったことをしてないのに、それを受け入れないといけないって)
(けっこう酷だと思うけど)
ノア 「そーだね」
それでも言葉を飲み込んで、
曖昧な笑みを返すとアランがふっと笑みをこぼした。
(…ん?)
アラン 「それにしてもあいつ、プリンセスらしくねえよな」
ノア 「………プリンセス、らしくない?」
アラン 「ああ、良い意味でも悪い意味でも、なんかお前に似てる」
(……似てる……、か)
その言葉に、吉琳が眉を寄せてこぼした言葉がふっと蘇ってくる。
*****
吉琳 「プリンセスとして、まだ自覚もないし」
吉琳 「正直、自信も持てないんだ」
*****
(なんかあの時の顔が、ずっと忘れられない)
(けど……アランは、どこ見て似てるって思ったんだろう)
真剣に考えてしまっていたことに気づいて、アランに笑みを向けた。
ノア 「あんなに可愛くないけど」
アラン 「違えよ、お前も王位継承者らしくねえだろ」
アランが笑いながら口にした言葉に、ふっと肩の力が抜ける。
ノア 「うん、そーだね。…らしくない、のは一緒か」
アラン 「…ん?」
本をパタンと閉じて、床に手をついてその場から立ち上がった。
ノア 「アラン、吉琳の迎え俺に任せてくれない?」
***
一人で階段を一段一段、
ゆっくり下りて行くと少しだけ開かれた正面の扉から、
満月が顔を出していた。
(どれだけ明るい月が出ていても、一人でいさせたくはない)
出逢った瞬間から、吉琳の優しい部分や真っ直ぐな分だけ、
人一倍揺らいで悩んでしまう一面が少しずつ見えてきていた。
(俺は……似ているから、吉琳のところに行きたいと思うのかな)
(そんなの、どうだっていい。今俺がしたいことは…――)
噴水のある中庭、温室、色んな場所を回って最後に静かな丘に辿り着いた。
ノア 「…………」
すっと視線を上げて耳を澄ませると、
風が吹く音にまざって人に気配がする。
(……やっと、見つけた)
近づいて行くと視線を伏せて、
今にもこぼれ落ちそうな涙をぐっと堪えている吉琳がいた。
(…一人になりたがるくせに、)
(本当は一人でいたくないように見える)
(泣くのを堪えてるのに、本当は誰より泣きたいように見える)
その強がりな矛盾を壊すように、そっと手首を掴んだ。
ノア 「今度は俺が掴まえた」
吉琳 「どうしてここにノアがいるの…?」
ノア 「理由が必要?」
首を傾げると、吉琳は戸惑うように視線を揺らす。
(どうしてだろう…俺にもよくわからないんだよ)
(けど…)
(一つだけわかることは、今はただそばにいたいってこと)
曖昧に言葉尻りを濁して、その場に膝をついて目線を合わせた。
吉琳 「…………」
ノア 「吉琳が上手く息、吸えてなさそーな気がしたから」
ノア 「迎えに来たよ」
吉琳 「……っ…」
吉琳が息を呑んで、瞳が大きく揺れる。
ノア 「深呼吸する…?それとも…」
腕を広げたけれど、
吉琳が飛び込むより早く抱きしめてあげたくなる。
ノア 「うん、こっちでいーや」
ぎゅっと抱きしめると、吉琳の腕がそっと背中に回された。
見上げる月はやっぱり明るすぎる。
(…俺の腕の中にいればいいよ)
(今夜は月が明るすぎて、)
(泣いている顔が上手く隠せないだろうから)
吉琳の体を抱きしめながら、
なんだか自分まで抱きしめられているような気持ちになって、
腕の力を少しだけ強めた……―
◇ 恋の芽生え
『忘れかけていた夢』
―……夕暮れがしだいに空を濃く染め上げていく頃
(吉琳、まだ来ないかなー)
寝転んで空を見上げていると、吉琳の柔らかい声が耳をくすぐる。
吉琳 「ノア?」
(本当は今すぐにでも起きて駆け寄りたいけど、我慢)
ノア 「吉琳ー」
ノア 「ここー」
じっと耳を澄ませていると、しだいに足音が近くなって来て顔に影が落ちた。
見上げると、吉琳が顔を覗き込んで呆れたように笑っている。
吉琳 「寝てて呼ばれても困るよ」
(困らせたいんだよ。そうすれば、吉琳はだってもっともっと)
(俺に甘えることができるから)
そんなことをぼんやりと考えながら、へらっと笑って見せる。
ノア 「吉琳が探してくれるのが嬉しくて、ごめん」
吉琳は、肩をすくめて小さな手を差し出してくれる。
吉琳 「はい、手」
ノア 「はい」
手を掴んで起こそうと試みる吉琳を阻止するように、軽く手を引くと……
ぐらりと吉琳の体が揺れて、胸にすっぽりと収まった。
吉琳 「ノア、今のわざとでしょ?」
ノア 「バレた?」
吉琳 「もちろん」
拗ねた口調の吉琳をぎゅうっと抱きしめると、力が抜けるのがわかった。
(吉琳を抱きしめると体もあったかいけど)
(それよりも胸の真ん中があったかくなる)
こういう瞬間に、大切だと想う気持ちが重なっていく。
それは吉琳しか自分に与えられないもので、
同時に自分はもらった以上の気持ちを返していきたいと思う。
(…だから、ちゃんと伝えないと)
ノア 「吉琳、眠ってもいいからさ、聞いてくれる?」
吉琳 「…?うん」
腕の中で吉琳が声を上げた瞬間、ゆっくり言葉を紡いでいく。
ノア 「俺にはね、一人だけ弟がいるんだ」
吉琳 「…ごめん、レオから聞いた」
(…うん、知ってる。謝らなくてもいーのに)
ノア 「何で謝るの?そのほうが俺は助かる」
背中をとんとんと叩きながら、忘れようとしていた記憶をなぞっていく。
ノア 「俺の自慢の弟でね、ピアノがものすごく上手いんだ」
ノア 「俺はその音にずっと憧れて、…ピアニストになりたいって心の底から思った」
(……ずっと忘れようとしてた)
*****
ノア 「すごい…!すごいね。こんなおとをきいたら、みんながわらってくれるよ!」
ノア 「こんなぴあの、おれもひけるようになりたい!」
*****
―……にいさん、なにをいってるの?にいさんはなんでもできるのに。
幼い心はいつしか弟を傷つけて、
それに気づいてからは、大好きなもの全てから目を背けるようになっていった。
ノア 「これが俺の本当の夢」
ノア 「……で、俺が弟に勝てない唯一のものがピアノ」
吉琳 「……っ」
ノア 「不思議だね、欲しいものは与えられないって」
ふっと吉琳の瞳を見つめると、じっと次の言葉を待ってくれている。
ノア 「だから、ここにいちゃいけないって思ってた。だけど…放りだすこともできなかった」
吉琳 「それは弟の望んでた場所だから?」
ノア 「うん、けど…それは俺の勝手だね」
ノア 「向き合うことから逃げるのは、ずるい」
息をつくと、吉琳が服をぎゅっと掴んでくれていた。
(この小さな手が、俺を引き上げてくれた)
(こうして、言葉に出来るのも…向き合えるのも、あの瞬間があったからだ)
*****
吉琳 「…お願い、背を向けたままでもいい」
吉琳 「それだけでいいから。そこにいて」
吉琳 「…ノアの抱えてるものの大きさなんて、私には想像することしかできない」
吉琳 「だけど、勝手だけど私はノアのそばにいたいよ…。…こんな方法でしか伝えられないから…」
指先で鍵盤を押した瞬間、一音が鳴り響いていく。
ノア 「………っ…」
*****
(吉琳が必死に俺と向き合ってくれたから、自分の心から目を逸らせなくなった)
(今、心にある気持ち全部、吉琳が取り戻してくれたものだから)
ノア 「今立っているこの場所からも。…ピアノからも、弟からも逃げてるだけだった」
(だけど……、もう逃げない)
心配そうに吉琳が見上げているのがわかって、
わざと勢いをつけて抱えたまま体を起こすと至近距離で目が見開かれる。
吉琳 「……っ…」
ノア 「それに吉琳のこと、ちゃんと守りたいから」
ノア 「そのために、もっと強い俺にならないと」
しだいに沈んでいく夕日が吉琳の顔を染めていく。
(あの日…俺は吉琳のおかげで変われたんだよ)
*****
ノア 「俺は……望んでもいいのかな?」
吉琳 「……うん」
*****
吉琳がくれた強さを、今度は吉琳を守る強さに変えたい。
ノア 「吉琳、俺……ちゃんと向き合って来る」
吉琳 「うん」
吉琳の気丈に振る舞う声が聞こえてきて、思わず髪に手を伸ばしてそっと撫でた。
吉琳 「待ってるよ、ノア」
ノア 「戻ってきたら、……一番に逢いに行く」
吉琳 「一番に?」
(決まってる……)
(吉琳、俺は吉琳だけを幸せにしたい)
(世界で一番、俺の大切な人だから)
戻ってきたら一番にこの言葉を伝えよう。
それで、ずっとそばにいて吉琳を守っていきたい。
ノア 「うん、だって俺は吉琳だけの王子だから」
本当の言葉をそっと隠して、
吉琳の体を夕日が落ちるまでずっと抱きしめた……―
◆ 恋の行方 ~夢見るプリンセス~
『君のための曲』
―……ダンスホールに届くようにピアノを引くと、鍵盤からそっと手を下ろす
ノア 「…………」
椅子から立ち上がって、窓の下からダンスホールを見つめると、
信じられないような大きな歓声が耳に飛び込んできて、その中心には……
(吉琳…)
吉琳が顔を綻ばせて、音の余韻に包まれるような笑顔を浮かべていた。
その光景を視界におさめて、グランドピアノを背に走り出す。
ノア 「………っ…」
暗がりに包まれた廊下を走るたびに、吉琳の顔を近くで見たくなる。
(あの日の笑顔を、今度は自分の手で作れたらどんなにいいかって)
(ずっとずっと思ってた)
*****
初めて行ったオペラで、吉琳が演奏の終わりに見せた表情が鮮明に蘇る……
吉琳 「ノア!すごいね!」
ノア 「………っ…!」
*****
(あの日から、もう…きっと俺は夢を捨てられなくなってたんだ)
(吉琳の笑顔が見たくて、その先にたくさんの人の笑顔がある)
それは夢ではなく、確かな現実として目の前に広がっている。
その時、向こうから足音が聞こえてきた……
ノア 「吉琳」
吉琳 「……ノア!」
駆け寄るより早く、吉琳は思いっきり勢いをつけて胸に飛び込んで来る。
腕の中の体温が愛おしくて、照れを隠すようにわざとらしくよろけてみせた。
ノア 「あいかわらず勢いよすぎ」
吉琳 「ごめん」
どちらからともなく額を重ねて笑いあうと、
吉琳が肩で息をしながらじっと大きな瞳で見上げてくる。
吉琳 「あのね……っ…」
前のめりに話そうとする姿が、あまりに無邪気で可愛くて、
膝の後ろに手を差し込んで、吉琳の体を持ち上げた。
吉琳 「ノ…ノア?」
ノア 「ゆっくり聞きたいから、移動ー」
(大切な言葉はちゃんと聞きたくて)
(こんなに独占したいなんて、どうかしてる――)
***
吉琳の体を抱いたまま、部屋に入ると真っ白なソファーに下ろす。
吉琳 「……っ…」
吉琳が驚いて目を見開いたのを見て、その場に片膝をつく。
月灯りに照らされた吉琳の頬に触れると、
温かな体温がじんわりと流れ込んできて、ピアノに触れていた指先が温まる。
ノア 「ちゃんと聞こえた?」
吉琳 「うん、ちゃんと聞こえてたよ」
吉琳の言葉にようやく、演奏が終わったような気がした。
ノア 「そっか、正直今、すごくほっとしてる」
吉琳は、瞳を真っ直ぐに見つめたまま顔を綻ばせる。
吉琳 「みんなすごく楽しそうにしてたよ」
ノア 「ごめん、見てた」
吉琳 「え?」
ノア 「弾き終わって窓からダンスホールを見たら、楽しそうで…」
ノア 「その中心に吉琳がいた」
(吉琳、それは俺がずっとずっと本当に望んできた景色だよ)
*****
吉琳 「夢を…捨てた?」
ノア 「うん、…それじゃ休憩に少し話そっか」
ノア 「この本の中の指揮者は、いつかその場にいる全ての人を笑顔にする演奏がしたいと思ってたんだ」
*****
(全ての人を笑顔にする、なんて夢物語かもしれない)
(けど……諦めの悪さは、吉琳から教わったから)
ノア 「吉琳、ありがとう。それと…」
プリンセスとして真っ直ぐに立っていた吉琳の姿を思い浮かべて、
頭をぽんぽんと撫でた。
ノア 「よく頑張りました」
(あれ?)
子犬のように大人しく頭を撫でられている吉琳がやけに大人しくて、
そっと顔を覗き込むと少しだけ出ている耳が赤く染まっている。
吉琳 「それは私が先に言う言葉だよ」
ノア 「そー?」
軽い口調で笑ったけれど、胸は苦しい程の愛おしさで埋め尽くされていく。
すると、吉琳が息をつく気配がして吉琳の髪が頬を撫でる。
(吉琳ー?)
首を傾けたその時、顔に影がかかって柔らかい感覚が唇に触れた。
ノア 「……っ…」
一瞬だけ触れた唇が離れていくと、ますます赤くなった耳が見えて、
そっと頬を自分よりもひと回りも小さい手が包み込む。
吉琳 「……このキスよりも幸せな気持ちになったよ」
(何それ、ずるいなー…)
ノア 「あー…」
堪らずに声を上げると、吉琳が笑いながら首を傾げる。
ノア 「近くで吉琳の笑った顔見たかったー」
吉琳 「近くで?」
頷くと、吉琳の笑顔を目におさめるようにじっと見つめた。
ノア 「そう、だって吉琳の笑顔は最高の称賛だから」
(あんなに、幸せにしてくれる笑顔はきっとどこを探したって見つからない)
(俺だけのかげがえのない宝物だよ)
告げた瞬間、吉琳の顔には、優しい温かい陽だまりのような笑顔が広がっていく。
吉琳 「いつだって笑うよ」
ノア 「そっか」
重なった視線が一瞬だけ揺れた瞬間、12時を告げる鐘が鳴り響く。
(100日目…の鐘)
鳴りやまない鐘の音を聞きながら、
吉琳からは見えないように手をぎゅっと握り締める。
(…例え、この先吉琳がどんな道を選んでも)
(俺が、…どんな道に進んでも)
(この笑顔だけは、絶対に離さない)
12時の鐘は終わるを告げるものではなく、
きっと始まりの音だと強く思った……―
◇ 恋の行方 ~恋するプリンセス~
『ラストプリンセスパーティーを君に』
―……ラストプリンセスパーティーが始まり、
カイン、ルイが順番にお礼を伝えていく
(…今日の吉琳は、すっごく綺麗だ)
ついに自分の順番が来て、吉琳の元にただ真っ直ぐに歩いて行く。
ノア 「…………」
吉琳 「ノア…」
吉琳の瞳が、大きく揺れる。
(今日まで、吉琳は何も聞かないでいてくれた)
それはきっと、次期国王の道、…そしてピアニストになる道、
そのどちらを自分が選んでもいいように、そう考えた上での大きな優しさだった。
(けど、もうそんな心配はさせない)
ノア 「吉琳、聞いてほしいことがあるんだ」
吉琳 「……っ…!」
その場に片膝をついて、吉琳を見上げると目が見開かれる。
ノア 「こうして、吉琳を見上げるのは二度目だ」
この角度から見つめる吉琳に、あの夜を思い出していく……
*****
ノア 「好きだよ……世界で一番」
吉琳 「……っ…」
ノア 「吉琳だけが俺の大切な人だよ」
*****
(吉琳に大切なことを伝える時は、ちゃんとした形で伝えたい)
すると、吉琳の目のふちに涙が浮かんで、堪えるようにきゅっと唇が結ばれている。
(……不安、だったに決まってる)
ノア 「吉琳、そんな顔しないで」
吉琳 「…泣きたくないんだよ。だから…気にしないで」
吉琳は強がる時は、必ず涙を堪えようとする。
(だから、そんな言葉は聞けるわけない…強がりなんていらない)
ノア 「気にしないで、なんて言葉…俺は聞かないよ」
はっきりと告げると、一番大切な人の名前を口にした。
ノア 「吉琳」
吉琳 「ん…?」
ノア 「俺はありがとうだなんて言わない」
その途端、吉琳の掠れた声が響く。
吉琳 「…どういうこと?」
ノア 「ガラスの靴を脱いでも」
ノア 「吉琳は俺だけのプリンセスだから」
吉琳 「…………」
ノア 「吉琳、俺は進む道を選んだよ」
(迷わないで言える、これが俺の心からの気持ちだから)
息をついて、ただ吉琳の心に届くように伝える。
ノア 「俺はこのウィスタリアの、次期国王になりたい」
カイン 「…………」
ルイ 「…………」
吉琳 「え…だって…ピアノは」
ノア 「うん…」
吉琳 「昨日の夜だって、オペラ座に行ったのに…」
(吉琳、慌てすぎ。けど…俺がもっとちゃんと言葉にしないと)
ノア 「吉琳ー?」
名前を呼ぶと、戸惑っていた瞳がゆっくり向けられた。
吉琳 「…ピアニストになるのは、ノアの夢なんじゃないの?」
ノア 「…そうだね、だけどそれは手段だって気がついた」
吉琳 「手段?」
(そうだよ、…それは吉琳から全部教えてもらったことだから)
99日間の記憶を辿るように、言葉を重ねていく。
ノア 「俺は吉琳と行ったオペラで、吉琳のとびっきりの笑顔を見られた」
吉琳 「…うん」
(あの瞬間…、吉琳から目が離せなくなった)
ノア 「俺は、吉琳が弾くピアノで心の底から笑えた」
吉琳 「…………っ…」
(暗闇に光が差したような気持ちに、なれた)
ノア 「昨日、吉琳が必死に自転車をこぐ背中から城下の人たちの姿が見えた」
吉琳 「……う…ん」
(……あの景色が、俺の夢になった)
*****
吉琳 「ノア、私100日間を過ぎてもここにいるよ、そう決めた!」
ノア 「…………」
国民 「プリンセス、何してんだ!」
吉琳 「急いでる!」
*****
ノア 「その時、みんな吉琳を見て笑顔になってて」
ノア 「俺が、本当に欲しい景色はこれだって」
ノア 「…守りたいのは、吉琳とこの景色だって思ったんだよ」
音に惹かれて、ピアノが好きな気持ちに嘘は何一つない。
だけど、自分が本当にほしいものは…その先にある笑顔だ。
(そんな簡単なことに、気づけなかった俺に)
(笑顔の意味を教えてくれた、だから今は迷うことなく言える)
吉琳の99日間の日々が心に鮮やかに浮かんでくる。
ノア 「吉琳、これが俺の今の夢」
吉琳 「夢…?」
ノア 「うん、吉琳のそばで人の笑顔を守って同じ景色を見ること」
(大切な人が大切にしている景色、大切だと思える)
(それを守っていくことは、幸せ以外、何物でもない)
その瞬間、吉琳の頬からは涙が流れ落ちた。
吉琳 「うん……ノア、ありがとう」
慌てて、濡れた頬を手でぬぐっていく。
ありがとうを言わないといけないのは自分で、だけどそれはきっとこの先、
何万回でも吉琳に伝えていける言葉だ。
(だから、その代わりにずっと一緒にいる約束をしないと)
ノア 「一緒にいてくれる?」
(それで笑って、俺の夢になって)
その瞬間、吉琳はまるでこの先の未来を約束するような笑顔で、
穏やかに笑ってくれた……―
◆ 恋の秘密
『名前を呼んで』
―……視察を終えて夕暮れに染められた城へと続く道を歩いていると、
目の前からレオが歩いてきた。
ノア 「どーしたの?」
レオ 「ああ、ノア。吉琳ちゃんを探してるんだけど、見つからなくて」
(今日は、たしか公務がないって言ってたけど)
首を捻ると、レオが目を細める。
レオ 「だから、伝言頼んでもいい?」
ノア 「うん、俺が探しに行くよー」
レオ 「…って、言うと思ったから頼んだんだよ?」
(ほんとレオは、人の気持ちに気づくのが上手いな)
ノア 「りょーかい。レオが心配してたって伝えとく」
レオ 「ノア?」
片眉を下げるレオを見て笑いながら、歩き出す。
(今日はよく晴れてたから、きっと…――)
***
昼間が陽が差し込んでいたはずの温室の扉を開けると、温かい空気が肌に触れる。
(あいかわらずあったかい)
花が咲き誇る道を歩いて行くと、見慣れた背中が見えた。
ノア 「お医者さんー」
ロベール 「ノア様、しーっ。静かに」
(ん……?)
人差し指を口に添えて振り返るロベールのそばには……
(見つけた)
吉琳がスノーを抱えて草の上で寝息をたてている。
(こんなとこで寝るなんて、俺じゃないんだから)
近づいて顔を覗き込み、起こすつもりはないけれど小さく名前を呼んでみる。
ノア 「吉琳ー吉琳ー」
ロベール 「こら」
ノア 「ごめん、ふざけた」
すると、ロベールは穏やかな笑みを浮かべて口元を綻ばせた。
(ん…?)
ロベール 「ノア様は、本当にプリンセスの名前をよく呼んでるね」
ノア 「そう?」
ロベール 「ああ、作業してるとここまで聞こえてくるくらいに」
(…完全、無意識)
ロベールは笑みを深めると、すっと立ち上がる。
ノア 「行くのー?」
ロベール 「ああ、プリンセスのことは任せたよ」
了解、そう答えながらレオも、ロベールも、
当たり前のように吉琳のことを任せてくれることを嬉しく思う。
立ち去る足音が遠くなると、吉琳のことを見つめながらぼんやりと考えた。
(俺が名前をよく呼ぶようになったのは、きっと…――)
その時、吉琳の腕の中スノーが目を覚ましてひょこひょこと歩いて来て、
膝の上に乗っかってくる。
(吉琳がスノーの名前をつけてくれた時からだ…)
*****
吉琳 「名前、今つけようよ」
ノア 「今?」
吉琳 「好きな人に呼ばれて一番嬉しいのは、名前でしょ?」
吉琳 「だからちゃんとつけよう」
ノア 「それじゃ、はい」
ノア 「吉琳がつけてよ、そーいうセンスない」
*****
(好きな人に呼ばれて嬉しいのは、名前)
その言葉がずっと自分の中に残り続けている。
ノア 「吉琳が起きちゃうから、スノーはこっち」
もう当たり前に呼ぶようになった名前を、呼んでしっかりと抱きしめる。
(俺が、スノーに名前をつけなかったのは)
(いつかいなくなった時に、寂しくなるからだったんだな)
(けど、それは間違ってた)
ノア 「スノー?」
名前を呼ぶと、スノーは嬉しそうに尻尾を揺らす。
大切な人ほど、たくさん名前を呼ばないといけないと教えてくれたのは吉琳だ。
(好きな人に名前を呼ばれて嬉しいのは)
(その人の近くに自分がいるってわかるから)
(それで、俺が何度も吉琳を呼ぶのは…)
(変わらずそばにいて欲しいから)
嬉しいことは、全て吉琳から教わった気がしてまた小さく名前を呼んだ。
ノア 「吉琳、ありがとう」
吉琳 「……ん…っ…、…」
その瞬間、目が開いて吉琳の瞳が自分を捉える。
時が止まったように見つめると、瞳に優しい色が浮かんだ。
吉琳 「名前、呼んでくれてた?」
ノア 「うん、ごめん。起こした」
吉琳 「ううん。…嬉しかったよ」
視線だけで問いかけると、吉琳が手の甲で口元を覆って笑う。
吉琳 「笑わない?」
ノア 「うん、絶対笑わない」
吉琳 「なんだか、突然ずっとそばにいられるんだなって思った」
(……っ…)
吉琳は幸せそうに笑うと、そっと手を伸ばしてくしゃくしゃと髪を撫でてきた。
吉琳 「これが夢よりも幸せってやつかな」
(あー…もう)
体を倒して、吉琳の体をぎゅっと抱きしめる。
吉琳 「どうかした?」
ノア 「名前、呼んでー」
吉琳 「ノア?」
耳元をくすぐる声に、胸が温かく満たされていく。
ノア 「もう一回」
吉琳 「ノアー」
ノア 「…うん、幸せってやつ」
吉琳がまた柔らかく笑う。
(これからもそばにいて、何度も名前を呼ぶから)
(ずっと、一番近くで名前を呼んでてよ)
そしたらきっと自分は一番の幸せものだと思う。
(それで俺は…――)
ノア 「吉琳、好きだよ」
(吉琳を俺以上に幸せにするんだ)
この幸せは両手じゃ抱えきれないくらいで、
だから吉琳の腕におさまるか心配になる。
そんなことを思いながら、もう一度愛しい名前を呼んだ……―