Kiss in the Darkness キケンな恋の罠(ジル)
*2022/8/29 新增後記
プロローグ:
――…暗闇をかき消すほど温かな光に満ちた昼下がり
街の一角にあるカフェは、今日も人で賑わっていた。
吉琳:お待たせしました
ウェイトレスとして注文されたデザートを持って、奥の席へと近づく。
ルイ:…どうも
カイン:おい、ノア、食事来たぞ。起きろ
ノア:んー眠い…
ジル:行儀が悪いですよ
アラン:ウェイトレスが困ってるけど
(今日も賑やかだな…)
いつも通りのやり取りに笑みをこぼしながら、
常連客である5人のテーブルに、デザートを並べていく。
彼らとは顔見知りで、時々世間話をする仲だった。
吉琳:今日もゆっくりしていってください
空になったトレーを持って、引き返そうとしたその時……
吉琳:…っ、わ!
足元にあった何かにつまずき、転びそうになった体を抱きとめられる。
アラン:足元よく見ろよ
吉琳:ごめん、ありがとう…
(でも……今、何か壊れたような音が聞こえた気がする)
おそるおそる足元に視線を落とすと、黒いバッグが転がっていた。
ジル:足は捻りませんでしたか?
吉琳:大丈夫です。でも、荷物が…
ルイ:…気にしなくていい
ノア:それより、他のお客さんが吉琳のこと呼んでるみたいだよー
カイン:早く行けよ
吉琳:すみません…ありがとうございます
(気のせいだったらいいけど…)
心に引っかかるものを感じながら、その場を離れようとすると……
???:後で、責任とってもらうから
(え…?)
背後から聞こえた低い声に、慌てて振り返る。
(今の、誰の声…?)
視線の先には、談笑を始める5人の姿があった。
***
――…その日の夜
仕事を終えてカフェを出た私の前に、人影が現れて……
吉琳:あなたは…――
どの彼と過ごす…?
>>>ジルと過ごす
第1話:
──…涼やかな風が立ちこめる夜
ジル:こんばんは、吉琳
私の前に現れたのは、街で診療所を経営している医師のジル先生だった。
ジル:今お帰りですか?
吉琳:はい…ジル先生も、診療所からの帰りですか?
ジル:いえ、私は貴女に用があって来ました
吉琳:私に…?
(何の用事だろう?)
心当たりがなく首を傾げると、ジル先生がすっと目を細める。
ジル:帰られる前に、私につき合っていただけませんか…?
普段の柔らかな物腰とは違い、どこか冷たい空気をまとう姿に息を呑む。
(なんだか、いつもと雰囲気が違うような気がする…)
緊張に言葉を告げずにいると、ジル先生は口元に笑みを浮かべた。
ジル:昼間のことで、貴女にお話ししたいことがあります
(それって…)
〝ジル:足は捻りませんでしたか?〞
〝吉琳:大丈夫です。でも、荷物が…〞
(もしかして…あの時のことかな)
昼間のことを思い返していると、ジル先生が私の手を取って…――
ジル:…大切なものを壊した責任は、きちんと取っていただきますよ
(…っ、そういえば…)
〝???:後で、責任をとっていただきますから〞
(あの時の言葉は、ジル先生のものだったんだ…)
吉琳:あの、本当に申し訳ありませ…――
謝ろうとした私の唇に、そっと人差し指が乗せられる。
吉琳:…!
ジル:立ち話も何ですから、ひとまず場所を移しましょうか
吉琳:は…はい
(やっぱり、いつもと違う…)
どこか強引なジル先生に緊張しながら、私は小さく頷いた。
***
連れてこられたのは、診療所に隣接しているジル先生の家だった。
ジル:それでは、話の続きです
ジル:昼間、貴女が壊したのは高額な医療器具でした
ジル:部品交換では済まず、新調する必要があります
吉琳:…っ、すみません…弁償させてもらいます
ジル:そう簡単に払えるような額ではありませんよ?
ジル先生から耳打ちされた金額に目を見開く。
(そんな金額…とても払えない)
呆然としていると、ふいに肩を押されジル先生と壁の間に閉じ込められた。
吉琳:ジル先生…っ?
ジル:支払えないのでしたら、仕方ありません
目を細めたジル先生の指が私の顎をすくい上げて…――
ジル:貴女の体で払っていただくしかありませんね…?
吉琳:……っ
(体で払うって…そんな…)
気がつけば、吐息が頬に触れるほど距離が近づいていた。
緊張にぎゅっと手を握り込むと、小さな笑い声が聞こえる。
ジル:そう身構えないでください。貴女自身に何かするわけではありません
ジル:貴女の手を借りたい…それだけですよ
吉琳:え…?
ジル先生が私から体を離す。
ジル:私が医者なのは、貴女もご存知ですね?
吉琳:はい。何度かお世話になったことがありますから…
ジル:実は、私の仕事はそれだけではありません
ジル先生は少しだけ声を落とすと、私の瞳を覗き込んだ。
ジル:…闇医者も、兼業しているのですよ
吉琳:闇医者…?
聞き慣れない言葉に、目を瞬かせる。
ジル:昼の診療とは別に、夜は裏社会で生きる方を治療しているんです
ジル:医師免許は持っていますので、正確には闇医者ではないのですが…
ジル:そちらの方面では、闇医者として名が通っています
(ジル先生は、裏社会の人たちと関わりがあるってこと…?)
予想もしなかった言葉に、じわりと冷や汗が浮かんでくる。
吉琳:そんなこと…私に教えていいんですか?
ジル:もちろんです
ジル:貴女には、夜の診療所の手伝いをしていただきたいと思っていますので
吉琳:それって…
ジル:闇医者である私の手伝い…といえば伝わりますか?
(裏社会の人たちの治療を手伝うってこと…?)
(…っ…そんなの、できるわけないよ…)
息を呑んだ私に、ジル先生が笑みを浮かべる。
ジル:最近、裏社会のとある組織間で抗争が起こっているようで
ジル:夜の診療所を利用する方が増えているんです
ジル:患者の数が落ち着くまで、貴女の手を借してください
吉琳:む、無理です…!
吉琳:私、専門知識もないですし…
ジル:必要なことは、私が責任を持って教えます
ジル:貴女は言われた処置だけをしてくだされば構いませんよ
吉琳:でも…
引き下がろうとする私に、ジル先生がすっと目を細めた。
ジル:断るということは、弁償金を払っていただけるのですね?
吉琳:っ…それは…
ジル:できない…そう言うつもりなら
ジル:貴女に拒否権はありませんよ…?
妖しげな笑みで告げられ、口をつぐむ。
(確かに、あんな金額を払うことなんてできない…)
(でも、抗争を起こすような人たちを助けるなんて…)
けれど、私が大切なものを壊してしまった以上、このまま逃げるわけにもいかない。
しばらく悩んだ後、息を深く吸って覚悟を決めた。
吉琳:…わかりました
吉琳:お手伝い、させていただきます
頭を下げると、ジル先生はどこか驚いたような表情を浮かべた。
ジル:もっと抵抗するかと思ったのですが…意外ですね
ジル:ですが、度胸のある女性は嫌いではありませんよ
そう言うと、ジル先生は瞳を和らげて微笑んだ。
ジル:これからよろしくお願いしますね、吉琳…?
吉琳:…はい、お願いします
これからのことに不安を感じながら、私は小さく息をついた。
***
――…約束を交わした日から数日後
私は昼はカフェで働き、夜は診療所の手伝いをする日々を送っていた。
ジル:吉琳、次の方を呼んでください
吉琳:はい!
診療所は毎日慌ただしく、怪我をした患者が次々に運ばれてくる。
(想像はしてたけど、怖い雰囲気の人たちばかり…)
それでもジル先生は、人柄やその人の抱える事情は関係なく、真剣に患者と向き合っている。
ジル:吉琳、そちらの方の止血をお願いできますか?
吉琳:わかりました…!
(私も、自分にできることを一生懸命やらなくちゃ…)
***
――…数時間後
(今日も大変だったな…)
椅子に座り深呼吸をすると、大きな手のひらが頭の上に乗せられた。
吉琳:ジル先生…?
ジル:今日もよく頑張りましたね
第2話:
吉琳:ジル先生…?
ジル:今日もよく頑張りましたね
大きくて温かな手が、私の髪を梳く。
(びっくり、した…)
(でもジル先生の手、すごく優しい…)
なぜか心地よくて手をそのままにしていると、ふっとジル先生が微笑んだ。
ジル:貴女は呑み込みが早いですし、思ったより見込みがあります
吉琳:ありがとう、ございます…
(弁償のためにやってることだけど、認められると嬉しい)
ジル先生は頬を緩めると、髪から手を離した。
ジル:頑張っている貴女に、ご褒美があります
吉琳:ご褒美?
ジル:ええ
頷いたジル先生は、片手に持っていたトレーをテーブルに置いた。
吉琳:わあ…チョコレートケーキとチーズケーキですか?
ジル:好きな方を選んでください。どちらがいいですか?
吉琳:それじゃ、チョコレートケーキを…
ジル:わかりました。…どうぞ、食べてください
吉琳:はい、いただきます
チョコレートケーキのお皿を目の前に置いてくれる姿を見つめながら、
手伝いを始めた頃のことを思い出す。
(前に診療後に疲れてた時も、こうやってケーキを出してくれたっけ…)
(きっと、気遣ってくれてるんだろうな)
ジル先生の優しさに温かさを感じながら、ケーキを一口食べる。
口の中に広がる上品な甘さに、思わず頬が綻んだ。
吉琳:美味しいです…!
ジル:それはよかったです
テーブルを挟んで向かいに座ったジル先生が、可笑しそうに笑う。
ジル:貴女は、本当に美味しそうに食べますね
ジル:その姿を見るのが、私の最近の楽しみです
吉琳:…っ…私の姿を見ても楽しくないと思います
ジル:いいえ、楽しいですよ? 仕事の疲れも吹き飛ぶくらいに
柔らかな眼差しに見つめられて、視線から逃れるように顔を伏せる。
(ジル先生は、私をからかってるのかな…?)
向かいに座っていたジル先生が、おもむろに体を乗り出した。
ジル:少し、味見をしてもいいですか…?
吉琳:え…?
長い指先が、唇に触れて…――そっと撫でられる。
吉琳:…っ、何を…
ジル:クリームがついてましたよ
ジル先生は淡く笑うと、指先に乗ったクリームをそっと口に含んだ。
吉琳:ジ、ジル先生…!
ジル:このくらいのことで顔を赤くするなんて、可愛らしいですね
吉琳:…っ…こんなことをされたら、誰でも赤くなります…!
言い返す私に、ジル先生は楽しげな笑みを見せた。
(きっとからかわれてるだけなんだって、わかってるけど…)
(ジル先生と過ごすこんな時間が、私…嫌じゃない…)
速い鼓動を少しでも落ち着かせるために、私は小さく息をついた…――
***
――…それから数日後
診療所に入ろうとした瞬間……
男性1:ふざけんな、このヤブ医者…!!
聞こえた大きな怒鳴り声に、びくりと肩が跳ねる。
(どうしたんだろう…?)
裏口のドアを開けて、おそるおそる診療所の中を覗きこむ。
ジル:闇医者と呼ばれることはありますが、ヤブ医者ではありませんよ
中では、冷たく微笑むジル先生と怖い雰囲気の男性が口論していた。
男性が肩を貸している仲間らしき人の背中は、傷のせいかシャツが赤く染まっている。
ジル:お金が払えないのでしたら、治療はできませんね
男性1:お前は…っ…兄貴を見殺しにするって言うのか!
ジル:心配せずとも、その程度の怪我では死にませんよ
男性1:大体、こんな法外な金額払えるわけないだろ!
ジル:この裏社会で法を持ち出すとは、面白い方ですね
薄く笑うと、ジル先生は鋭く男性を見据えた。
ジル:私の診療所は前払いが原則です
ジル:払えないのでしたら、他を当たってください
男性1:てめえ…!
ジル:……これ以上騒ぐようでしたら、私にも考えがあります
ジル先生が取り出した物が見え、はっと息を呑む。
(あれは…銃…!?)
男性2:…もう、いい…行こう
男性1:くそ…っ
悔しそうに顔を歪めた男性が、肩を貸した人とともに正面の出口から去っていく。
緊張と困惑で手が震えるのを感じながら、私は裏口の扉を開けた。
吉琳:ジル、先生…
ジル:…ああ、今来たのですね。こんばんは、吉琳
ジル先生はいつもの笑顔で、手元の銃を懐にしまった。
(怪我をしてたあの人、すごく苦しそうにしてたのに…)
吉琳:あんな怪我をしている人を…どうして治療してあげないんですか?
吉琳:いくらお金がないからって、あんな追い払い方…
ジル:…吉琳
ジル:貴女は、何か勘違いをしていませんか…?
ジル先生の冷たい言葉が、診療所に響く。
ジル:別に私は、慈善事業をしているわけではありません
ジル:怪我人だろうと、払うものを払っていただけないのでしたら、当然治療しませんよ
ジル:お金をもらえなければ、闇医者をしている意味もありませんからね
吉琳:そんな…
(ジル先生は、もっと優しい人だと思ってたのに…)
言葉を失う私に、ジル先生はくすりと微笑んだ。
ジル:まだ、何か言いたげな顔ですね…?
吉琳:ぁ…っ
俯く私の顎を、ジル先生が強引に持ち上げる。
ジル:どれだけ反感を持とうとも、貴女が私に逆らうことは許しません
ジル:貴女はただ、私の言う通りに働いてくれればいいんです
吉琳:……っ
(それが、ジル先生の本心なの…?)
戸惑っていると、鋭い眼差しがわずかに和らいだ。
ジル:貴女の瞳は…とても綺麗な色をしていますね
吉琳:え…?
ジル:こうして見つめていると、自分が汚れきっているのがよくわかります
吉琳:ジル、先生…
注がれる視線になぜか悲しみが滲んで見えて、ぎゅっと胸が痛む。
(やっぱり、冷たいだけの人じゃないのかな…?)
そう思った時、ふとジル先生の患者さんを心配する横顔や、
一人一人に向き合う時の真剣な言葉が頭に浮かぶ。
(ジル先生の優しさの全てが、嘘だとは思えない…)
(闇医者になってまでお金が欲しいのには、何か理由があるの…?)
しばらく見つめ合っていると、遠くでドアベルが響いた。
ジル:…患者が来たようですね
吉琳:…私、治療の準備をしてきます
ジル:ええ…お願いします
ジル先生から離れ、いつも通り器具の準備をする。
背後から聞こえる患者さんと話すジル先生の声は、いつも通り優しい声をしていた。
(さっきの男の人と話していた時とは全然声が違う)
(…ジル先生の真意が、知りたい)
***
――…数日後の昼
人の少ない時間帯に、常連客のアランが来た。
吉琳:いらっしゃい、アラン
アラン:…ああ
(あ…そうだ)
(アランなら、ジル先生の事情を何か知ってるかな…?)
注文された品をアランに運んだ後、思い切って話を切り出す。
吉琳:…あの、アラン
アラン:なに?
吉琳:ジル先生のことで、聞きたいことがあるんだけど…――
第3話:
(アランなら、ジル先生の事情を何か知ってるかな…?)
注文された品をアランに運んだ後、思い切って話を切り出す。
吉琳:…あの、アラン
アラン:なに?
吉琳:ジル先生のことで、聞きたいことがあるんだけど…
アラン:ジルのこと…?
周りに聞こえないよう、少しだけ声を潜める。
吉琳:アランって、ジル先生の裏の仕事のことは知ってる…?
アラン:ああ、闇医者ってことは知ってるけど
(やっぱり、アランも知ってたんだ)
吉琳:じゃあ、どうしてジル先生が闇医者をしてるのかは…?
アラン:理由、知りたいわけ?
吉琳:うん…
アラン:…………
しばらくじっと私を見つめた後、アランは静かに口を開いた。
アラン:…前にちょっと聞いた話だと、診療所に多額の借金があるらしい
吉琳:借金…?
アラン:でもそれは、前に経営者だった医者が残したものだって話
アラン:…ま、そんなに気になるなら本人に直接聞けば?
吉琳:でも、教えてくれるかな…?
アラン:さあ、どうだろうな
その時、アランの視線がちらっと私の後ろを見た。
(…? どうしたんだろう)
そう思った瞬間……
ジル:こそこそと何を話しているかと思えば…
吉琳:…っ……
耳元に触れた吐息に振り返ると…――
ジル:貴女は私のことを知りたいのですか…?
吉琳:ジル先生…っ…
鼻先にあるジル先生の顔に、大きく鼓動が跳ねる。
(今の聞かれてた…よね)
そっと距離を取りながら、おそるおそる口を開く。
吉琳:どうしてジル先生がここに…?
ジル:休憩時間に、一息つこうと思いましてね
ジル:私はここの常連客です。いつ来てもおかしくはないでしょう…?
ジル先生がそう言った時、コーヒーを飲み干したアランが席を立った。
アラン:俺もう行くから、ここ座れば?
ジル:ええ、そうさせて頂きます
アランが去って行き、ジル先生は腰を下ろしながら微かに笑った。
吉琳:ジル先生? どうして笑って…
ジル:すみません、少し意外だったものですから
吉琳:何がですか…?
首を傾げると、ジル先生がじっと私を見上げる。
ジル:…昨日、あんなひどい場面を見せたのに
ジル:貴女がそれでも、私のことを知りたいと思ってくれていることがです
吉琳:それは…
(ジル先生が、理由もなく悪いことをしているとは思えないから…)
どう伝えればいいか悩んでいると、ジル先生が口を開いた。
ジル:私が闇医者をしている理由、でしたね
吉琳:え…教えてくれるんですか?
ジル:知りたいのでしょう?
吉琳:はい…
仕方ないというように表情を和らげて、ジル先生が目を伏せる。
ジル:この街には、診療所は数えるほどしかありません
ジル:潰れてしまえば、多くの人が治療を受けられなくなってしまいます
ジル:ですから先代が夜逃げした際、私が診療所を引き継いだんですよ
(だから、借金を返済するために)
(診療所を守るために、闇医者をしてるの…?)
ジル:さて…、注文をいいですか?
吉琳:はい…
(ジル先生がやってることを、悪いことだとは思う…)
けれど理由を聞いた今、ジル先生を非難する気にはなれなかった…──
***
――…その日の夜
診療所の手伝いを終えて器具の片づけをしながら、
ぼんやりと昼間聞いた話に考えを巡らせる。
(ジル先生のしていることは、咎められることなのかな…?)
(確かに、悪い人を治療すればその分事件が増えてしまう…でも)
〝ジル:この街には、診療所は数えるほどしかありません〞
〝ジル:潰れてしまえば、多くの人が治療を受けられなくなってしまいます〞
(ジル先生が言うように、街の人はこの診療所を必要としてる…)
(私には、ジル先生のやっていることを否定できない…)
(私…どうしたらいいんだろう…?)
考えこんでいると、後ろで小さく笑う気配がした。
吉琳:ジル先生?
ジル:貴女は、考えていることがすぐ顔に出ますね
笑みを収めて、ジル先生はふいに真剣な表情を浮かべた。
ジル:どのような理由があっても、私がやっていることは悪ですよ
吉琳:それは、わかってます…
吉琳:でも私は…、ジル先生の優しさまでは否定したくないんです
ジル先生の言葉に苦しくなった胸に、手を置く。
(今まで見てきた、ジル先生の患者さんへの想い…)
(あれは、間違いなく本物だと思うから…)
複雑な気持ちに唇を噛み締めた時、
ジル先生の手が、そっと私の頬を持ち上げた。
ジル:…そんな顔をしてまで、私を受け入れる必要はありません
吉琳:でも…っ
ジル:私を信じると、痛い目を見るのは貴女ですよ
複雑な気持ちに唇を噛み締めた時、
ジル先生の手が、そっと私の頬を持ち上げた。
ジル:…そんな顔をしてまで、私を受け入れる必要はありません
吉琳:でも…っ
ジル:私を信じると、痛い目を見るのは貴女ですよ
そう言ったジル先生の瞳が切なさを帯びていて、ぎゅっと胸が締めつけられる。
(この眼差し、まただ…)
吉琳:ジル先生、気づいてましたか…?
ジル:何にです…?
吉琳:私を突き放す時、ジル先生は必ず悲しそうな目をするんですよ
ジル:………!
息を呑んだジル先生の瞳が、間近で揺らぐ。
(ジル先生が患者さんを追い返して、私が問いただした時も)
(言葉は冷たいのに、瞳はとても悲しそうだった…)
頬に触れるジル先生の手を、そっと両手で包み込む。
吉琳:そんなあなたを…放っておけるわけないじゃないですか
ジル:……吉琳
(平気そうにしていても…)
(ジル先生は優しいから…心が泣いてるんじゃないかと思う)
(だから…ジル先生を放っておきたくない)
その時、胸に募る切なさの正体に、私はようやく気づいた。
(…ああ、そうだったんだ)
(私…いつの間にか、ジル先生のことが…)
ふっと、ジル先生が細く息をついた。
ジル:…貴女の優しさは、まるで毒のようですね
吉琳:ジル先生…?
ジル:いけないとわかっていながら、手を伸ばしてしまいそうになる…
苦悩の滲む顔が上がり、熱を帯びた眼差しが私を見つめる。
ジル:貴女に手伝いなど、頼まなければよかった
ジル:そうすれば、誰かにそばにいてほしいと思うことも…
頬に添えられていた手に力がこもり、ジル先生の顔が近づく。
(あ…)
唇を掠める吐息に呼吸を止めた、その瞬間……
吉琳:…!
玄関の扉が破られる音が、診療所に大きく響いた。
吉琳:…っ…ジル先生、何かすごい音が…
ジル:しっ……じっとしていてください
音がした方を振り向くと、銃を持った男性が部屋に乗り込んでくる。
男性1:よお、闇医者先生
ジル:貴方はこの間の…
(前に診療を断られた人…だよね)
男性1:てめえ、聞いたぜ
男性1:兄貴の治療はしなかったくせに、俺らが敵対してる組織の人間は治療したんだってな
ジル:報酬をいただければ、患者に敵味方は関係ありませんので
男性1:ふざけるな!
(あ…)
男性の銃口がジル先生に向けられ、恐怖に体が動かなくなる。
そんな中、ジル先生は呆れた様子でため息をついた。
ジル:逆恨みされても困るのですが…
ジル先生はさりげなく私を背中にかばうと……
(あ……)
私にしか見えない角度で指を伸ばし、裏口を示した。
(私だけ逃げろってこと…?)
(でも、ジル先生を置いて逃げるなんてできないよ…)
男性1:お前のような医者なんか、生かしておく価値もねえ!
(あ…!)
逃げるのをためらっていると、男性の指が引き金にかけられて…――
吉琳:ジル先生…!
[プレミアENDに進む]
彼は悪い人、そうわかっていても
この想いは止められない…
ジルの手が、ワンピースの裾から入り込み…
『残りの分は今…貴女の体で
支払っていただきましょうか…?』
[スウィートENDに進む]
運命が今、二人を引き裂こうとする…
泣きそうに顔を歪めたジルが、私の腕を引き寄せて…
『一瞬でも貴女を離したくないと望んだ、私への罰でしょうか…』
第4話-プレミア(Premier)END:
(私だけ逃げろってこと…?)
(でも、ジル先生を置いて逃げるなんてできないよ…)
男性1:お前のような医者なんか、生かしておく価値もねえ!
(あ…!)
逃げるのをためらっていると、男性の指が引き金にかけられた。
吉琳:ジル先生…!
とっさに足を踏み出した瞬間、銃の乾いた音が響く。
ジル:く…っ…
吉琳:ジル先生、腕が…!
男性1:動くな、女!
男の銃口が、素早くこちらに向けられる。
けれど次の瞬間、ジル先生が隠し持っていた銃で男を撃ち返した。
男性1:ぐあ…!
吉琳:……!!
男性の体が大きく揺れて床に倒れ込み、息を呑む。
吉琳:ジル、先生……
ジル:…大丈夫。ただの麻酔銃ですよ
ジル:それより、怪我はありませんか…?
吉琳:私は大丈夫です…でも、ジル先生が…っ
ジル:私も平気で…、っ……
(あ…!)
ぐらりと傾いたジル先生の体を、慌てて抱き支える。
吉琳:ジル先生…っ、ジル先生…――!
必死に声をかけても、ジル先生から言葉が返ってくることはなかった。
***
――…それから数日後
吉琳:ジル先生、起きていて大丈夫ですか?
ジル:ええ、大丈夫ですよ
お見舞いに訪ねると、ジル先生は上体を起こして本を読んでいた。
吉琳:でも、傷のせいで、あんなに高い熱が出てたのに…
ジル:もう落ち着きましたから。ご心配をおかけしてすみませんでした
ジル先生が本を閉じて、ゆっくりと私に向き直る。
ジル:明日から通常通り、診療所を開こうと思います
吉琳:それじゃ、また私もお手伝いしますね
笑顔で告げると、ジル先生はわずかに目を伏せた。
ジル:…いえ。貴女の手伝いは、必要ありません
ジル:それと…明日からはもう、診療所に来なくても結構ですよ
吉琳:え……どうしてですか…?
ジル:一時期より患者の数が減りましたからね
ジル:私一人で十分対応できる状態になりましたので
吉琳:でも、まだ壊したものを返済できるくらいにはお手伝いしてませんよね…?
問いかける声が、微かに震える。
(本当は…返済なんてただの建前だ)
(私は、もっとジル先生のそばにいたい…)
ぎゅっと胸の前で手を握った時、ため息が耳に届いた。
ジル:はっきり言わないとわかりませんか
ジル先生の瞳が、鋭く細められる。
ジル:――貴女はもう、不要だと言っているんです
吉琳:……っ…そんな
ジル:どうしても納得がいかない、というのでしたら…
吉琳:あ…っ
突然立ち上がったジル先生に腕を引かれ、ベッドに組み敷かれる。(*突然ジル先生に腕を引かれ、ベッドに組み敷かれる。)
吉琳:…っ、ジル先生…?
ジル:残りの分は今…貴女の体で支払っていただきましょうか…?(*残りの分は今…体で支払っていただきましょうか…?)
冷たい声音が届いた瞬間、ジル先生の顔が近づいて…――
吉琳:ん…っ
強引に唇を塞がれ、目を見開く。
体を強張らせると頬を押さえられて、熱を奪うようにキスが深くなった。
吉琳:…っ、ふ……ぅ
(息、苦し…)
思いやりを感じられない強引さに、胸に切なさが込み上げる。
(でも…わざと私を、傷つけようとしてるみたい)
抵抗したいのを堪えていると、ふっと唇が離された。
ジル:…ずいぶん大人しいのですね
ジル:こうして強引にされるのがお好きですか?
吉琳:そうじゃな…
皮肉げに歪んだ唇が目に入った瞬間、ワンピースの裾から大きな手が入り込む。
吉琳:…っ、や…!
反射的に胸を突き飛ばすと、ジル先生は口元に笑みを浮かべた。
ジル:これに懲りたら、もう二度と私に関わらないでください
吉琳:…っ……
(まただ…)
(また、悲しそうな顔してる…)
ジル先生は体を起こすと、部屋から出て行こうとする。
吉琳:ジル先生…!
ジル:……!
その背中に、夢中で抱きついた。
ジル:…離してください
吉琳:嫌、です…
深く息をついて、ジル先生が私を振り返る。
ジル:せっかく見逃して差し上げようとしているのに
ジル:まさか私に抱かれたいのですか…?
(やっぱり…傷つけるような言葉を選んでる)
(ここで怯んだら、ジル先生の心には触れられない)
息を吸い込んで、真っ直ぐ顔を見上げる。
吉琳:抱きたいなら…好きにしてください
ジル:…っ…吉琳?
吉琳:その代わり、教えてほしいんです
抱きしめる腕に力を込めて、そっと口を開く。
吉琳:…こんなふうに私を突き放すのは
吉琳:この間のような危険が、またあるかもしれないからですか…?
ジル:……っ
息を詰めたジル先生の瞳が、大きく揺れる。
(やっぱり…そうだったんだ)
闇医者を続ける限り、ジル先生には今回のような危険がきっとつきまとう。
護身用に麻酔銃を持っていたから、過去にも同じようなことがあったのかもしれない。
(そばにいるのは危険だって、わかってる)
(それでも……)
吉琳:お願いです、突き放さないでください…そばにいたいんです
吉琳:ジル先生…私は、あなたが…――
好きです…そう言いかけた唇に、そっと指が添えられる。
ジル:それ以上は言わないでください
吉琳:どうして…
言葉を拒むように、ジル先生は目を伏せた。
ジル:貴女は、もともと善良な女性なんです
ジル:貴女を利用した私が言うのも、変な話ですが…
ジル:これ以上、裏社会には関わらない方がいい
感情を押さえるように低く告げる声に、首を横に振る。
吉琳:それは、無理です
吉琳:もう、手遅れなんです…
膨らんでいく想いが胸から溢れて、自分でも抑えられない。
吉琳:この想いを、なかったことになんてできません…
ジル:吉琳…
吉琳:そのくらい私は、あなたのことが…
ジル:…――っ
言葉を続けようとした瞬間、ジル先生にぐっと体を引き寄せられて…――
吉琳:んっ……
続く言葉を塞ぐように、ジル先生の唇が重なった。
(さっきみたいに強引じゃない…すごく優しい)
そのことが、どうしてか苦しいほど胸を締めつける。
長く触れていた唇が離れ、切なさを帯びた瞳が間近に広がった。
ジル:…どうでもいい女性を、突き放したりはしません
ジル:貴女だって、わかっているでしょう…?
吉琳:ジル先生…
ふいに、前にキスをされそうになった時の記憶が蘇る。
〝ジル:貴女に手伝いなど、頼まなければよかった〞
〝ジル:そうすれば、誰かにそばにいてほしいと思うことも…〞
(ジル先生も、私と同じ想いなの…?)
顔を伏せたジル先生から、苦しげな声が聞こえる。
ジル:貴女を大切に思うからこそ…そばに置いてはおけません
ジル:……そう、頭ではわかっているのに…
(ジル先生は…私のことを思って、手放そうとしてくれている)
(でも、私は…)
吉琳:…ジル先生
頬に手を添えて顔を寄せ、そっと唇を触れ合わせる。
ジル:……吉琳?
吉琳:…離さないで、ください…
(たとえ、これから危険な目にあっても…)
(私は、ジル先生から離れたくない)
吉琳:ジル先生は、悪い人なんですよね…?
吉琳:悪い人なら、私の危険なんて考えないで…
ジル:…………
ジル先生の迷いが無くなるように願いながら、もう一度唇を重ねる。
しばらくすると頭の後ろに手が添えられて、
迷うようにゆっくりとキスが深くなった。
吉琳:…ん…っ…
背中に腕が回って強く抱きしめられると、嬉しさが込み上げる。
(離さないって…言われてるみたい…)
抱きしめ返すと、静かに唇が離れた。
ジル:貴女には…本当にかないませんね
ジル:誰かにこんな想いを抱くなんて…夢にも思いませんでした
ジル先生の手が、私の頬を優しく包み込む。
ジル:吉琳…後悔、しませんか…?
吉琳:はい…絶対にしません
(後悔なんてしない)
(大切な人と、一緒にいられるのなら…)
ジル:それなら…、もう二度と貴女を離しません
ジル:愛しています、吉琳…
告げられた愛の言葉に、じわりと涙が滲む。
その涙に唇を押しつけたジル先生は淡く微笑んで、
もう一度、これ以上はないくらい優しいキスをくれた…──
fin.
第4話-スウィート(Sweet)END:
男性1:お前のような医者なんか、生かしておく価値もねえ!
(あ…!)
逃げるのをためらっていると、男性の指が引き金にかけられた。
吉琳:ジル先生…!
反射的に、ジル先生を突き飛ばした瞬間……
吉琳:…――っ!!
弾けるような銃声と共に腕に鋭い痛みが走り、勢いで体が床に倒れる。
その拍子に頭を強く床に打ちつけ、世界がぐらりと揺れた。
ジル:吉琳…!
吉琳:…っ……ぁ……
(腕が、熱い…)
痛みと目眩に眉を寄せた時、
視界の端でジル先生が男性を撃つのが見える。
男性の体が倒れ込む音が響いた後、肩にジル先生の手が触れた。
ジル:吉琳、しっかりしてください! 聞こえていますか?
(ジル、先生…)
ぼやける視界に、ひどく焦った顔が映る。
(でも、なんだか…泣きそうに見える)
ジル:吉琳、どうして私をかばったりなど…!
手を伸ばして、顔を覗き込むジル先生の頬に触れる。
吉琳:…か……た……
ジル:吉琳…?
手を握り返すジル先生の温もりに、頬が綻ぶ。
吉琳:無事で……よかった……
ジル:…――!
(お願い…そんな悲しそうな顔、しないで…)
頬に触れる手から力が抜けて、ぱたりと床に落ちる。
ジル:吉琳…!!
(答えたい、のに……)
必死に名前を呼ぶ声を遠くに聞きながら、
私の意識は薄れていった…──
***
男を捕らえた後、急いで吉琳の体をベッドに寝かせる。
ジル:よかった…命に別状はなさそうですね…
素早く応急処置を施し、ほっと息をつく。
あれから吉琳はいくら名前を呼んでも、目を覚まさなかった。
ジル:…全部、私のせいですね
倒れた時にできたらしい頭の傷…
そして銃弾の掠った腕の傷に、ぐっと顔をしかめる。
ジル:一瞬でも貴女を離したくないと望んだ、私への罰でしょうか…
自嘲するように言葉をこぼして、吉琳の頬を撫でる。
ジル:すみません、吉琳…
やりきれない思いごと包むように、吉琳をきつく抱きしめた…──
***
――…真っ暗だった視界が、次第に開けていく
(ここは…?)
見覚えのない部屋に寝かされていることに気づき、上体を起こすと……
吉琳:っ、いた……
腕と頭に鋭い痛みが走り、息を詰める。
その時、部屋の扉が静かに開いた。
???:…吉琳?
(……?)
???:よかった…! 気がついたのですね
吉琳:え…
安心したように微笑んで、その人が顔を覗きこんでくる。
(優しそうな人…)
(でも………)
吉琳:あの……
???:吉琳…?
吉琳:…あなたは、誰ですか…――?
???:…――っ
目の前の瞳が、大きく見開かれる。
息を詰めていたその人は、掠れた声をこぼした。
???:…何も、覚えてないのですか?
吉琳:覚えてない…?
(私、この人と知り合いなの…?)
考えようとすると、ずきりと鈍く頭が痛む。
吉琳:あ……っ
???:吉琳
額を押さえると、支えるように温かな手が肩に触れる。
けれど、その温もりにも覚えはなかった。
(私、どうしてここにいるのかも、この人が誰なのかもわからない…)
(目が覚める前のことが、何も思い出せない…)
吉琳:あの、私……っ
???:…無理に思い出そうとしなくていいのですよ
一瞬切ない顔をしたその人は、すぐに柔らかな笑みを見せた。
???:貴女は事故にあって怪我をし、強く頭を打ちました
???:きっと、その時の衝撃で記憶が混乱しているのでしょう
ジル:私は、ジルと申します。貴女の担当医ですよ
吉琳:お医者様…ですか?
ジル:ええ。そうです
吉琳:それなら…ジル先生ですね
ジル:…!
(え…?)
一瞬、ジル先生の瞳に悲しげな色が浮かんだように見えた。
けれど、その表情は瞬きの間に消えて優しい笑みに変わる。
ジル:…ええ、そう呼んでくださって構いませんよ
ジル:貴女の怪我は私が責任を持って治しますので、安心して下さいね
吉琳:はい…よろしくお願いします
(今の表情、気のせいだったのかな…?)
***
――…それから数週間後
記憶喪失と診断された私は、定期的にジル先生の診療所に通っていた。
吉琳:ジル先生、こんにちは
ジル:吉琳。ちょうどいいところに来ましたね
椅子から腰を上げたジル先生が笑顔で出迎えてくれる。
ジル:診療が落ち着いたので、今から少し休憩を取ろうと思っていたんです
ジル:よければ、つき合ってもらえませんか…?
吉琳:え、私でいいんですか?
ジル:貴女だから誘っているのですよ
吉琳:…っ…はい
(ジル先生、ときどきこんなことを言うけど…)
(記憶をなくす前から、こんな感じだったのかな…?)
からかわれているのか本気なのかわからなくて、いつもドキドキする。
(記憶をなくす前の私は、この人のことをどう思ってたんだろう…?)
***
吉琳:お邪魔します…
ジル:どうぞ、そちらの椅子に座って下さい
吉琳:はい…
(ここが、ジル先生の部屋…)
少しそわそわとしていると、目の前に二つのケーキが置かれた。
吉琳:わあ、美味しそうなケーキ…!
ジル:どちらでもお好きな方を選んで下さい
吉琳:いいんですか?
頷くジル先生に、並んだチョコレートケーキとチーズケーキを見比べる。
吉琳:それじゃ…、チョコレートケーキをいただいていいですか?
ジル:…やはり、変わりませんね
吉琳:え?
ジル:いえ、何でもありませんよ
口元に笑みを浮かべたジル先生が、ケーキを差し出してくれる。
吉琳:ジル先生は、甘いものがお好きなんですか?
ジル:ええ、好きですよ
ジル:…でもそれ以上に
ジル:貴女が美味しそうにケーキを食べる姿を見るのが好きです
吉琳:え…
思いがけない言葉に、鼓動が大きく跳ねる。
(あれ…何だろう?)
(前にも、こういうことがあった気が…)
そう思った途端、鋭い痛みが頭に走った。
吉琳:…っ…!
ジル:吉琳、大丈夫ですか…?
吉琳:ジル先生…私…
(何か、思い出せそうな気が…)
ジル:……まさか、思い出しかけているのですか…?
(あ…)
ジル先生の切なげな表情が、記憶の中の誰かと一瞬重なる。
(大切な記憶だった気がするのに…)
(やっぱり、何も思い出せない…)
手を伸ばし、そばに立つジル先生の袖を掴む。
吉琳:ジル先生…教えて下さい
吉琳:私は、何を忘れているんですか…?
ジル:吉琳…
抜け落ちているのは、ジル先生と出逢った頃からの記憶だ。
(だからもしかしたら…忘れてしまったのは)
(ジル先生と関わりのある記憶なんじゃないかと思う)
悲しげな顔の奥にある心を知りたくて、真っすぐに見上げる。
吉琳:お願いです…教えてください
ジル:…っ………
ジル:……すみません
泣きそうに顔を歪めたジル先生の手が、ぐっと私の腕を引き寄せて…――
吉琳:あ……っ
広い胸に、力強く抱きしめられる。
その瞬間、また鈍く頭が痛んだ。
(私……この腕を知ってる…?)
吉琳:ジル…先生…?
ジル:貴女を危険に巻き込まないためには、もう関わらない方がいい…
ジル:そうわかっているのに…貴女を手放せそうにありません
(え…?)
ジル先生は体を離すと、私の頬にそっと手を添えた。
ジル:こんなにも貴女を愛してしまった私を…許してください
吉琳:……っ
(この声色も、手の感覚も…)
(私やっぱり…前から知っていた気がする…)
〝ジル:…貴女の優しさは、まるで毒のようですね〞
〝ジル:いけないとわかっていながら、手を伸ばしてしまいそうになる…〞
(え? 今のは…)
一瞬、知らない情景が蘇る。
頬を撫でるジル先生の手に、自分の手をそっと重ねた。
ジル:吉琳…?
吉琳:ジル先生…
(この悲しい瞳を見てると、どうしてこんなに胸が苦しくなるの…?)
(どうして、こんな顔をさせちゃいけないと思うんだろう…)
胸一杯に切なさが溢れ、気づけば涙が頬に筋を作っていく。
ジル:吉琳……
吉琳:ジル、先生…
(この人のことは、まだ何も思い出せない)
(だけど、私はきっと、この人のことが…――)
互いの視線が、熱を帯びて重なる。
自然と近づいていく唇を感じながら、私はそっと瞼を閉じた…──
fin.
エピローグEpilogue:
――…危険な秘密を持つ彼と結ばれた後の、二人の物語
あなたを大切に想う気持ちが、彼目線で描かれていく……
…………
………
ジル:吉琳…私のような悪い男に、そういうことを言ってはいけませんよ
ジル:見えるところに痕をつけて貴女を困らせたり…
ジル:声が掠れるほど…そんな声をあげさせてみたくなる
(どうしても、吉琳を手放したくない…)
太ももの奥をくすぐりながら、柔らかい部分を唇で包む…――
……………
…………
――…何があっても大切にする。
触れる温もりに愛しさが募り、あなたへの彼の想いは、また強くなる…――
――…闇医者であるジルが吉琳と想いを通わせてから、数ヶ月後
…………
診療の休憩時間に、吉琳の働いているカフェを訪ねる。
吉琳 「あ…、ジル先生」
ジル 「こんにちは、吉琳」
窓から差し込む光が、吉琳の笑顔を優しく照らす。
(やはり、貴女には光が似合いますね)
安全のために夜の診療所の手伝いをやめさせて以来、
カフェに通うのが、毎日の習慣になっていた。
ジル 「注文をいいですか」
吉琳 「はい、もちろんです」
注文を取って厨房へ戻る姿を見送ると、
途中で吉琳が他の常連客に声をかけられた。
明るい笑顔で応える姿に、無意識にため息がこぼれる。
(やっぱり貴女は、)
(闇医者をしているような私のそばにいるべきではない)
ジル 「わかってはいるのですが…」
(…その笑顔を見るたびに、離したくないと思ってしまう)
自嘲してしばらく窓の方を眺めていると、ふわりといい香りが届く。
吉琳 「ジル先生、ハーブティーをお持ちしました」
ジル 「…ええ。ありがとうございます」
振り向くと、紅茶を置くために屈んだ吉琳の顔が肩口にあった。
吉琳 「っ、あ……」
互いの頬が触れ合いそうになった瞬間、
カシャンとカップの倒れる音が響く。
ジル 「大丈夫ですか、吉琳?」
吉琳 「わ、私は大丈夫です。それより、ジル先生の服が…っ」
視線を落とすと、
こぼれた紅茶がシャツの袖口を濡らしていた。
ジル 「ああ…これくらい構いませんよ」
吉琳 「でも…!」
こぼれた紅茶を慌てて拭こうとする姿に、悪戯な気持ちが浮かぶ。
(こういう姿を愛しく思うのに、からかいたくもなる)
(我ながら、悪い男ですね)
紅茶を拭く手を押さえ、吉琳の耳元に唇を寄せる。
ジル 「なら…責任は、後でしっかり取っていただきますね…?」
吉琳 「……っ」
息を呑む吉琳の驚いた顔に、自然と笑みが滲んだ。
***
――…夜の診療を終えた頃
大きなフードをかぶった吉琳が、診療所に入ってくる。
吉琳 「お疲れさまです、ジル先生」
ジル 「ええ。誰にも見られませんでしたか、吉琳」
吉琳 「はい。いつも通りひと気の少ない道を通ったので…」
(よかった…私たちの関係を、)
(誰かに知られることは避けたいですからね)
吉琳はフードを脱ぐと、頭を下げた。
吉琳 「…ジル先生。昼間は本当にすみませんでした」
吉琳 「洋服は大丈夫でしたか…?」
ジル 「ええ。すぐに洗いましたから、心配ありませんよ」
吉琳 「よかった…」
吉琳はふわりと柔らかい笑みを浮かべる。
吉琳 「お詫びに、今日はジル先生がしてほしいことを何でもします」
吉琳 「何かしてほしいことはありますか?」
(あいかわらず、真っすぐな人ですね)
愛おしさが込み上げて、吉琳の体を腕に閉じ込める。
吉琳 「ジル先生?」
ジル 「吉琳…私のような悪い男に、そういうことを言ってはいけませんよ」
吉琳 「ぁ…」
キスで唇を塞ぎ、下唇を柔く噛む。
しばらくその甘い感触を楽しむと、そのままベッドに押し倒した。
ジル 「そんな風に言われたら…」
ジル 「貴女の優しさを利用して、ひどいことをしてしまいたくなります」
吉琳 「ジル、先生…」
ふいに、吉琳の手が首の後ろに回される。
吉琳 「ひどいこと、してもいいですよ…?」
吉琳 「ジル先生になら…嫌じゃないですから…」
ジル 「吉琳…」
すべてを包み込むように笑う吉琳に、胸がじんと熱くなる。
(貴女は、いつもそうだ…)
(私の悪いところも、全てを受け入れようとしてくれる…)
ジル 「そんなことを言われると…本当にひどいことをしますよ?」
ジル 「たとえば、こんな風に…」
吉琳 「…っ…ん」
首筋に顔を寄せて、きつく吸い上げる。
ジル 「見えるところに痕をつけて貴女を困らせたり…」
ワンピースの裾に手をかけ、なめらかな太ももを奥に辿っていくと、
吉琳が甘い声をこぼす。
ジル 「声が掠れるほど…そんな声をあげさせてみたくなる」
吉琳 「ぁ…っ…」
太ももの奥の熱をくすぐりながら、空いた片手でワンピースを下ろす。
あらわになった素肌の柔い部分を唇で包むと、びくりと肩が跳ねた。
ジル 「反応が素直で…可愛らしいですね」
吉琳 「…っ…あまり見ないでください…」
ジル 「それは聞き入れられません」
ジル 「そんな貴女の表情も、全てを目に焼きつけたいですから…」
甘く囁くと、吉琳は困ったように笑みを浮かべた。
吉琳 「…ひどい人ですね」
ジル 「それを許したのは貴女でしょう…?」
吉琳 「…はい。だって…ジル先生のことが、大好きですから」
広がる笑顔に、胸の奥がどうしようもなく疼く。
(診療所を守るという目的がある以上、)
(闇医者をやめるつもりはない)
(それでも…どうしても、吉琳を手放したくない…)
シャツを脱いで、吉琳の顔の脇に肘をつく。
胸を触れ合わせると吉琳が淡く頬を染めて、
その姿にまた愛しさが募った。
ジル 「私は…本当に悪い男ですね」
吉琳 「ジル先生…?」
小さく呟いた声が聞こえなかったのか、吉琳が首を傾げる。
その頬を、宝物に触れるように優しく包んだ。
ジル 「吉琳…これから先、貴女を後悔させるようなことだけは絶対にしません」
ジル 「だからこれからも、私のそばにいてください……」
吉琳 「…はい。いつまでも、あなたのそばにいます」
温かく微笑む吉琳に衝動が込み上げて、唇を塞ぐ。
吉琳 「ん…っ、……ぁ」
キスをしながら腰を引き寄せると、溶けるほど熱が伝わる。
(これからどんな危険なことが起きても)
(吉琳の幸せだけは…この手で守る)
何があっても大切にする…そう決めた愛しい人にキスを落とし、
その温もりを決して逃がさないよう、
腕の中にきつく抱きしめた…──