Dramatic Wedding~心を奪われた花嫁~(ジル)
――…貴族の当主である彼と、花屋に務める娘のあなた…
ある日突然、あなたは彼に『花嫁』になるよう迫られて…?
………
ジル:私と結婚する場合、すべてが終わった時…
ジル:貴女には死んで頂きます
ジル:断るなら、この体を抱いてからあの領主のところに送り届けましょう
ジルと敵対する貴族があなたを花嫁に望んだことをきっかけに、ジルがあなたをさらう…!?
結婚をきっかけに態度が冷たくなったジル…
その本当の心は……?
ジル:……本当に、馬鹿な人ですね
ジル:そんなことを言われると、貴女を…――
………
強引に始まった彼との関係は、やがて恋に変わっていく……
波乱と刺激に満ちた、ドラマチックなマリッジストーリーをお楽しみに…!
プロローグ:
――…これは貴族の当主である彼と、花屋に務めるあなたとの、
ドラマチックな恋の物語…――
…………
(…ん……っ…?)
瞼を開いて部屋を見回し、見覚えのない景色に目を瞬く。
吉琳:ここどこ…? 私どうしてこんなところで寝てるんだっけ?
(確か、カフェで紅茶を飲んでたら急に眠くなって……)
ぼんやりと上半身を起こしかけ、自分の姿に一気に意識が覚醒する。
吉琳:え…!? なんでウェディングドレスなんて着てるの?
(着替えた覚えもないし、誰かが勝手に着替えさせたとか…?)
考えた瞬間、ぞっと背筋に冷たいものが走る。
(…っ…とにかく、どういう状況か確かめないと)
混乱と恐怖に追い立てられるようにベッドを降り、
静かにドアを開けて部屋の外の様子を伺う。
(…広そうなお屋敷。でも、やっぱり見覚えのない場所だ)
そっと廊下に足を踏み出した瞬間……
???:――…あ、起きたのか
吉琳:…!
声の方にぱっと視線を向け、視界に飛び込んだ姿に息を呑む。
(え…誰?)
(執事…だよね?もしかして貴族か誰かのお屋敷なのかな)
けれど、何人も執事がいるような屋敷を持つ知り合いに心当たりはない。
警戒していると、気さくな様子で執事たちが近づいてくる。
???(里奧):着替えさせたのはメイドさんだから安心して
???(凱因):それよりお前、まさか逃げようとしたんじゃねえだろうな
???(艾倫):一応逃がすなって言われてるから、もしそうなら掴まえるけど
吉琳:つ、掴まえるって…勝手に連れて来たのはあなたたちでしょ!?
???(克勞德):こら、ご主人様の大切な女性を困らせるな
???(尤利):そうですよー、怖がってるじゃないですか
目の前に並んだ四人の後ろから、大きな瞳の執事がひょこっと現れる。
(もう一人いたの…?)
無意識に後ずさりしそうになった時、最後に現れた執事がはっと顔を上げた。
???(尤利):あ、噂をすればご主人様
思わず視線の先を辿り、目を見開く。
(え、あの人は…――)
悠然と歩いてきたその人は目の前で足を止めると、じっと私を見下ろした。
???(尤利):紹介するね。今日からあなたは、この方の花嫁だよ
どの彼と過ごす…?
>>>ジルを選ぶ
第1話:
???(尤利):紹介するね。今日からあなたは、この方の花嫁だよ
ジル:…………
吉琳:……ジルさん?
片想い中の相手が現れるとは思わず、息を呑む。
(それじゃ、ここって…――)
〝吉琳:すみません、ご注文の花を届けに来たのですが…〞
〝ジル:ああ、吉琳。ご苦労様です〞
(いつも花を届けに来てるお屋敷…?)
(屋敷の玄関先までしか配達したことないから、気づかなかった)
ジル:突然のことに混乱しているでしょうから、説明しますよ
ジル:さあ、部屋に戻ってください
吉琳:は、はい…
促されて部屋に戻ると、ジルさんが後ろ手に扉を閉める。
勧められたソファーに座ると、ジルさんも隣に腰を下ろした。
ジル:早速ですが…ここに連れてきたのは、貴女に私の妻を演じて頂くためです
吉琳:え…妻? でも私は、1ヶ月後に結婚が決まって…――
ジル:ええ、知っています。だから貴女を相手に選んだのですよ
ジル:貴女の結婚相手へ報復するためにね
吉琳:報復…?
(全然話が見えない。何だか言ってることもジルさんらしくないし…)
混乱する私に、ジルさんは艶めいた笑みを浮かべる。
ジル:貴女を妻に望んでいる領主は、私の家と昔から何かと対立していましてね
ジル:先日もクリストフ家が契約しようとしていた土地を、締結間近に横取りされたのですよ
吉琳:え…
ジル:ですから、報復として貴女を奪うことにしたんです
ジル:花嫁を奪われるなど、相手にはいい醜聞になるでしょうからね
(…ジルさんの笑顔って、こんなに冷たかった?)
いつもは見ていると嬉しくなる笑みが、なぜか今日は胸をざわつかせる。
(言葉も表情も、私の知ってるジルさんじゃないみたい)
吉琳:そんな、奪われたから奪うなんてやり方…
ジル:では聞きますが、貴女は領主のもとに嫁ぎたいのですか?
吉琳:それは……
ジル:貴女も望んで結婚するわけではないのでしょう?
ジル:結婚を承諾しないと花屋をつぶす…そう脅されたと聞いていますよ
吉琳:…! どうしてそれを…
(領主様から、誰にも言うなって言われてたのに…)
ジル:優秀な使用人の一人が報告してくれたんです
ジル:店に立ち寄った領主に気に入られ、突然妻になるよう言われたのでしょう?
(そこまでわかってるんだ…)
確信を持った問いかけに、力なく頷く。
吉琳:幼い頃に両親を亡くしてから、ずっと花屋の夫婦にはお世話になったので…
ジル:大切なものを守るために頷くしかなかった…そうですね?
吉琳:……はい
(本当は、領主様と結婚なんてしたくない…)
逆らえなかった悔しさを思い出して俯くと、ふいに顎をすくい上げられる。
吉琳:…っ…ジルさん?
ジル:私は領主のように店をつぶすことはしません
ジル:むしろ、領主の手から守ると約束しましょう
吉琳:本当ですか…?
ジル:ええ。望まない結婚をすることに変わりはないですが
ジル:領主より条件は悪くないでしょう?
(…そうかもしれない。でも…)
間近で重なる冷えた眼差しが、頷くことをためらわせる。
(大好きな人のはずなのに…どうして今日はこんなに怖いと思ってしまうんだろう)
答えに迷っていると、頬にあった指先が遊ぶように首筋に移動して…――
ジル:ですが私と結婚する場合、すべてが終わった時…
ジル:貴女には死んで頂きます
吉琳:えっ…!? な、なんで…
ジル:そう怯えなくても大丈夫ですよ
ジル:ただ、貴女を死んだことにするだけですから
吉琳:どういう、こと…?
私の首筋を淡い力でなぞりながら、ジルさんがくすりと笑みをこぼす。
ジル:貴女を死んだことにして、別の女性を妻に迎えるのですよ
ジル:貴女と私では身分がつり合いませんので
吉琳:……っ
(信じられない…ジルさんがこんなこと言うなんて)
(この人は本当に、私の知ってるジルさん…?)
呆然とする私に満足したように、ジルさんは首から手を離した。
ジル:すべてが終わったら、遠く離れた町に家も仕事も用意して差し上げます
ジル:貴女が死んだことになれば、領主も花屋に手出しする理由がなくなるでしょう?
吉琳:そ、れは…
(ジルさんの言う通りにすれば、きっと花屋を守れる。だけど…)
ジル:言っておきますが、あなたに拒否権などありませんよ?
吉琳:あ…っ
強く肩を押され、突然ソファーに組み敷かれる。
吉琳:ジルさん…っ?
ジル:断るなら、この体を抱いてからあの領主のところに送り届けましょう
ジル:それもまた、あの男の神経を逆なでできるでしょうからね
(抱くって、そんな…)
吉琳:冗談…ですよね?
ジル:なぜ冗談だと思うのです?
思わせぶりに細められる瞳に、背筋が震える。
その瞬間、ジルさんが服越しに鎖骨をなぞった。
吉琳:い、嫌…っ
ジル:残念ながら、私は本気ですよ
ブラウスのボタンが外され、入り込んだ手に直接肌をなぞられる。
吉琳:…っ、やめて…!
思わず大きく抵抗すると、手の甲がジルさんの頬にぶつかった。
ジル:……っ
吉琳:あ……
口の端を切ったのか、唇を拭ったジルさんの指に微かな赤が滲む
吉琳:ご、ごめんなさ…
ジル:嫌がる…ということは、私と契約を結ぶということでよろしいですか?
(そうするのが当然、みたいな聞き方するんだ…)
どこまでも冷めたその態度に、悔しさと悲しさが一緒に込み上げる。
吉琳:…どうせ拒否権はないんですよね?
ジル:おわかりいただけたようで何よりです
(優しい人だと思ってたけど、私が知らなかっただけでこんな面も持ってたんだ)
(だからって、こんなやり方で言うことを聞かせるのはひどいよ…)
目の奥が熱くなりそうなのを堪えて、ジルさんを睨みあげる。
吉琳:…領主様から助けてくれたことには感謝します
吉琳:でも、あなたのことは軽蔑する
ジル:ええ、それで結構です
ジル:…ですが、店を助けることまで考えると、私の方が少し割に合いませんね
ジル:足りない報酬分を、先に頂いておきましょうか
(報酬…?)
ぐっと顎を持ち上げられた瞬間……
吉琳:ん……っ!?
強引に唇を塞がれ、離れようとするとうなじを押さえられた。
吉琳:ゃ……、んぅ…っ
いたぶるようにじっくりとキスをされ、
反射的に手を上げると、今度はあっさりと掴まれた。
ジル:二度目は受けません
吉琳:も、…やめ……んっ
手を掴んだまま、わざとらしく音を立てたキスが繰り返される。
(ジルさんのこと、好きだったのに…)
(キスされるたびに…心が痛い)
抵抗を諦めると、ジルさんはようやく私を離してくれた。
ジル:叩かれた分も、これで帳消しにして差し上げますよ
吉琳:どう、して……今まで優しくしてくれたのに
体を起こしたジルさんが、妖艶に瞳を細める。
ジル:私の外向きの顔に、女性は簡単に騙される
ジル:貴女もその一人だった。それだけのことです
(冷たい目…これが、本当のジルさんなの?)
ジル:今日からここが、私の妻となる貴女の部屋です
ジル:明日からはやって頂くことがたくさんありますから、今日はもう休みなさい
ソファーから立ち上がったジルさんが、無表情に私を見下ろす。
ジル:結婚式は数日後に行えるよう手配していますので、そのおつもりで
ジル:では…おやすみなさい、吉琳
服の乱れ一つなく、ジルさんは何事もなかったように部屋を出て行った。
(悪い夢でも見てるみたい…)
ソファーから体を起こし、掴まれた熱の残る手首に触れる。
(屋敷に花を届けに来る時、ジルさんはいつも優しかったのに…)
(あの優しさは、嘘だったの?)
第2話:
(あの優しさは、嘘だったの?)
微かに赤みを帯びた手首を見ていると、数日前の記憶が蘇る。
〝ジル:いつも花を持ってきてくださってありがとうございます〞
〝ジル:ん…? どこかで寄り道でもされたのですか?〞
〝吉琳:え?〞
〝ジル:持ってきた中にはない花びらが髪についていますよ〞
〝吉琳:あ…来る途中ですごく綺麗に花が咲いている場所があったので、つい…〞
〝ジル:貴女がそれほど心惹かれる花を、見てみたいですね〞
〝吉琳:それなら、今度お連れしましょうか?〞
〝ジル:いいのですか? ぜひお願いします〞
(あの約束も、社交辞令で言ってくれただけだったのかな…?)
身分が離れているのは知っていたから、きっとこの恋が叶わないことはわかっていた。
(だから結ばれなくても、時々逢えるだけでいいと思ってたのに…)
〝ジル:私の外向きの顔に、女性は簡単に騙される〞
〝ジル:貴女もその一人だった。それだけのことです〞
(ジルさん……)
涙を堪えるために唇を噛みしめると、
ジルさんにキスされたせいか、微かに血の味がした。
***
――…吉琳が部屋で一人涙を堪えている頃
リビングに戻ったジルに、執事のユーリがお茶を差し出した。
ユーリ:いいんですか、ジル様。あんな冷たい態度をとって
ジル:…ユーリ。聞き耳は感心しませんよ
ジル:それで、いいとは?
ユーリ:だってあの人が来る時、いつも出迎えに玄関まで出てたじゃないですか
ユーリ:屋敷の主人は普通、花屋の人にそんなことしないと思いますけど
ユーリの指摘に、ジルの瞳が一瞬だけ切なく揺らいで…――
ジル:それは…――ただの気まぐれです
ユーリ:えー、ほんとですか?
ユーリ:俺には、すごく大切にしてるように見えましたけど…
ジル:そうだとしても、態度を改めるつもりはありません
ユーリ:ジル様…
何か言いたげなユーリに、ジルがぱんと手を叩く。
ジル:さあ、無駄話はここまでです
ジル:急ぎ結婚式の支度を進めてください
***
――…数日後
(本当にこんなに早く式が開かれるとは思わなかった)
招待された多くの人の前で言葉だけの誓いを交わし、お互いに向き合う。
ジル:吉琳、顔を上げてください
促す声に従うと、顔を隠していたヴェールが持ち上げられる。
頬にジルさんの手が添えられて、誓いのキスが落とされた。
ジル:これで名実ともに私たちは夫婦です
祝福の拍手の中で、ジルさんが声をひそめて囁く。
ジル:今の気分はどうですか?
吉琳:…最悪です
ジル:そうでしょうね
(傷つけるようなことをたくさんされたのに)
(それでも、ジルさんのことをまだ完全に嫌いにはなれない…)
だからこそ胸が苦しくて、重たい気持ちが心をむしばむ。
(好きな人との結婚のはずなのに…悲しいよ)
ジル:最悪でも、これで貴女はもう私の妻です
吉琳:…わかってます
ジル:でしたら…一瞬でもいいので笑顔を見せてください
吉琳:え?
(今ジルさん、一瞬傷ついたような顔をした…?)
目を瞬かせると、軽く頬を撫でられる。
ジル:花嫁がそのように不機嫌な顔をしていては不自然でしょう?
吉琳:…はい
(気のせい…だよね?)
***
――…結婚式を終えた、翌日の早朝
ユーリに起こされ食堂に向かうと、そこにはジルさんが待っていた。
ジル:今までは結婚式の準備に忙しく時間が取れませんでしたが…
ジル:今日からクリストフ家の妻として、ふさわしくなるための教育を受けて頂きます
吉琳:偽物の花嫁なのに…ですか?
ジル:ええ。いずれ死んだことにするとはいえ、その間貴女は私の妻ですから
ジル:貴女には、完璧なクリストフ家の妻を演じてもらいます
(演じる…か)
結婚式を挙げても本物の夫婦ではないのだと、一線を引かれたように感じる。
ジル:今日からは敬語も使わず、私をジルと呼ぶように
ジル:いいですね?
吉琳:……わかった
(それにしても…教育って何をするんだろう?)
ジル:吉琳、また間違えていますよ
吉琳:ご、ごめん…
朝食の席で、私は食器の使い方や食べる順番などの作法を教わっていた。
(妻はフリなのに、本当にここまでする必要あるのかな…?)
(でも、丁寧に教えてくれてるから聞くに聞けない…)
そうしてしばらく指導が続いた後、食堂にユーリではない別の執事がやって来た。
???:ジル様、来客です
ジル:ああ…今日は商談がいくつか入っていましたね。すぐに行きます
ジル:レッスンの続きはユーリにお願いしましょう
ユーリ:はーい、任せてください
ジル:吉琳、仮初の妻だからと言って怠らないでくださいね…?
吉琳:うん…
ジルが呼びに来た執事と何かを話しながら、慌ただしく部屋を出ていく。
すると、控えていたユーリが肩をすくめた。
ユーリ:あれはしばらく戻って来れなさそうだなあ
(まだ朝も早い時間なのに、もうお仕事…?)
吉琳:ジルって、いつもこんなに朝早くから仕事をしてるの?
ユーリ:そうだね、クリストフ家は領主の家と同じくらい力を持ってるから
ユーリ:領内の人たちに頼られることも多くて、やることが山積みなんだ
吉琳:あ…そういえば、結婚式に来た出席者の数も多かったね
(急な結婚式なのに、あれだけの人を集めるなんて普通はできない)
ユーリ:それだけ、クリストフ家が領民に慕われてるってことだよ
ユーリ:だからこそ、領主と対立してるんだけどね
吉琳:そっか…
(ジルがただの冷たい人なら、慕われることもないだろうし…)
(私に見せてた優しさのすべてが嘘ってわけじゃないのかな)
ジルの席に目を向けると、手をつけられていない料理が残っていた。
吉琳:教えるばかりで全然朝食に手つけてないみたいだけど、大丈夫かな…?
ユーリ:あれ、ジル様が心配?
吉琳:…少しだけ
吉琳:私の練習につきあったせいで朝食の時間をつぶしてしまったなら、悪いから
ユーリ:それじゃ、後で差し入れを持っていくのはどう?
吉琳:差し入れ…?
ユーリが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
ユーリ:実はジル様ってね…――
***
――…その日の夕方
差し入れを持って部屋を訪ねると、ジルは目をつむってソファーに座っていた。
(あれ、寝てる…?)
(なんだか疲れてるみたい。あれからずっと忙しかったのかな…)
そばにあったブランケットを手に取り、肩にかけようとすると…――
ジル:何をしているのです?
吉琳:…!?
急に手を掴まれ、びくりと肩が跳ねる。
吉琳:お、起きてたの?
ジル:目を閉じていただけですから
(びっくりした…)
ジルが私の手を掴んだまま、感情のない眼差しを向ける。
ジル:何をしにこちらへ?
吉琳:…今日は食事をあまり取ってないって聞いたから、差し入れに
ジル:貴女が…?
吉琳:そうだよ。ユーリが、ジルはこれが好きって教えてくれて…
抱えていた箱を渡すと、ジルの表情が微かに和らいだ。
ジル:チョコレートですか
吉琳:うん。甘いもの好きなんだよね?
ジル:ええ
(ユーリの言葉を疑ってはいなかったけど、本人の口から聞くと変な感じ)
(ちょっと意外だな…)
つい頬を緩めると、ジルの瞳がすっと細められる。
ジル:ですが、チョコレートより…
吉琳:……っ、わ
座ったままのジルに腰を抱き寄せられ、ぐっと距離が近づく。
吉琳:ジル…っ?
ジル:この体で、貴女が私を癒やしてくださいませんか?
吉琳:なに言って…
ジル:夫を優しく癒やすのも、妻の役目ですよ
吉琳:…っ…それは一時的なもので
ジル:一時的でも貴女は私の妻…そうでしょう?
ジル:薬指につけている指輪だって本物です
吉琳:あ……
左手を取られ、指輪のはまった薬指に見せつけるようなキスをされる。
まるで壊れ物を扱うような触れ方に、意識とは別に頬が熱を帯びていく。
(こんな優しい触れ方、やめてほしい…)
(そんなはずないのに、愛されてるんじゃないかって勘違いしそう)
それでも身動きできずにいると、ジルさんは頬を包んで私を屈ませた。
吉琳:あの…?
ジル:キスをする時は、目を閉じるものですよ…?
第3話:
ジル:キスをする時は、目を閉じるものですよ…?
吉琳:……っ
近づいてくる瞳に動揺して、思わずぎゅっと目を閉じる。
すると、柔らかな笑い声が耳をくすぐった。
(え…笑った?)
そっと瞼を持ち上げると……
ジル:本気にしましたか?
この屋敷に来てから初めて見る明るい笑顔に、一瞬目を奪われる。
(…っ…前みたいに笑ってくれたからって、なに動揺してるんだろう)
からかわれた恥ずかしさと悔しさに、ジルの頭を少しだけ強めに撫でる。
ジル:…っ…今のは何です?
吉琳:私なりの癒やし方です!
火傷しそうなほど熱い顔を逸らし、手が緩んだ隙に距離を取る。
吉琳:そ、それじゃ…失礼します!
チョコレートの箱を押しつけて、振り返ることなく部屋を飛び出した。
***
吉琳が出ていった扉を見つめ、ジルは一人肩を揺らす。
ジル:…本当に可愛い人ですね
ジル:……だからこそ、私のそばにいてはいけないのですよ
***
(心配したのに、からかうなんて…やっぱりひどい人)
(でも……)
怒りに速めていた歩調を緩め、足を止める。
(さっき笑ってくれたジルは、前のジルみたいだった)
(優しく笑ったり、突き放したり…どっちが本当のジルなの?)
???:あれ、吉琳ちゃん?
吉琳:…? あなたは…――
顔を上げると視線の先に、見覚えのある男性が立っていた。
(…誰だっけ?)
???:ひどいなあ、屋敷に来た日に挨拶したのに忘れちゃった?
???:この間も、朝食の席にちらっと顔出したんだけど…
吉琳:あ! もしかして執事の…
レオ:正解。執事のレオだよ。レオって呼んで
(いつもと違う格好だったから気づかなかった)
吉琳:どこかに出かけてたの?
レオ:うん、今ご主人様のお使いから戻ったところ
レオ:吉琳ちゃんは?
吉琳:さっきまでジルと逢ってて…
(そうだ…執事のレオなら、ジルのこと詳しく知ってるかな)
吉琳:ねえ、ちょっと聞きたいんだけど、レオから見てジルってどんな人…?
レオ:俺にとってはいいご主人様だよ
前触れもなく切り出した問いかけに、レオは迷うことなく答えた。
レオ:立場はずいぶん上の方なのに、誰に対しても物腰柔らかだし
レオ:こんなにいいご主人様はなかなかいないんじゃないかな?
(誰に対しても物腰柔らか…)
(もしかして、私だけが違う態度をとられてる…?)
悩んでいると、レオが私の顔を覗き込んだ。
レオ:気になるなら、屋敷の他の人に聞いてみたら?
吉琳:…うん、そうしてみる
***
翌朝、屋敷の外で見つけたレオに私は昨日のことを相談していた。
レオ:どうだった?
吉琳:…みんな、レオと言うことが同じだったよ
(優しくていいご主人様だって、みんなジルを慕ってるみたいだった)
(前は私もそう思ってたし、話を聞けば聞くほど、冷たい人には思えなくなる)
吉琳:どうしてジルは、私にだけ冷たいのかな…
(私が庶民だから…?)
(でも、花を届けに来ていた時は身分を気にするような人には思えなかった)
レオ:理由は俺もわからない
レオ:でも、みんなに話を聞いてみて吉琳ちゃんはどう思った?
吉琳:私は…――
***
――…その日の午後
ジルに見守られながら、日課になったレッスンをこなしていく。
(背筋を伸ばしたまま片足を引いて…)
作法通りの挨拶をして、ジルの顔を見上げた。
吉琳:どうかな…?
ジル:上出来です。短期間でよく身につけましたね
(あ、笑ってくれた)
冷たい瞳が少しだけ優しくなって、胸が弾む。
ジル:今日の貴女は昨日までとは別人のようです
吉琳:そうかな?
ジル:ええ。…急に力を入れ始めたのはなぜです?
柔らかな雰囲気が掻き消えて、冷淡な瞳が私に近づく。
ジル:私に取り入って本当の妻になろうとでも?
吉琳:……違うよ
吉琳:すべてが終わったら死んだフリをする…それも今まで通りでいい
吉琳:ただ、人の一面だけを見て判断するのはよくないと思ったから
ジル:…どういうことです?
(ジルの態度に思うところはあるけど…)
吉琳:たとえ目的のために利用されていても、助けてもらってるのは事実でしょ?
吉琳:だから役目を終えるまでは、ジルに恥をかかせないよう頑張ろうと思ったんだ
(それに接していくうちに、どっちがジルの本当の姿かわかるかもしれない)
ジル:…………
吉琳:あの……
(もしかして、怒らせた…?)
険しい表情におそるおそる声をかけると、ため息を返された。
ジル:呆れました
吉琳:え…
ジル:貴女は、本当にお人よしですね
ジル:貴女が頑張ろうがそうでなかろうが
ジル:契約ですので務めは果たしていただきますよ
吉琳:うん、わかってる
ジル:…そうですか
ジルが一歩近づき、私の頭に手を乗せて…――
吉琳:わ…っ、ジル…!?
ぐしゃぐしゃと、強引な手つきで髪を乱された。
吉琳:な、なんで…
ジル:昨日の仕返しです
(あ……)
〝ジル:…っ…今のは何です?〞
〝吉琳:私なりの癒やし方です!〞
吉琳:……ジルでも、こんなことするんだね
手を離したジルが、ふいと顔を背ける。
ジル:…ただの気まぐれですよ
吉琳:そっか…
(気まぐれでも…ちょっとだけ距離が近づいたみたいで嬉しかった)
ジル:理由はどうであれ、やる気になってくれたのはよしとしましょう
ジル:この調子でレッスンを続けましょうか
吉琳:うん
(どうしてかな…ひどいこともされたし、冷たい態度を取られてるのに)
(私、やっぱりジルを嫌いになれそうにないよ…――)
***
――…数日後の夜
領主様からジルと私宛に招待状が届き、二人でパーティー会場を訪れていた。
(ジルの妻として紹介されるのは初めてだから、すごく緊張する)
やっと途切れた挨拶にほっと胸をなで下ろすと、
隣でジルが淡い笑みをこぼした。
ジル:疲れましたか?
吉琳:ううん、ただ作法や挨拶がちゃんとできていたか心配で…
ジル:大丈夫です、教えた通り完璧にできていましたよ
吉琳:ほんと? よかった…!
ジル:…………
(……あれ?)
答えを返さず固まったジルに慌てて笑顔を打ち消し、表情を引き締める。
吉琳:ごめん、もしかして今の声大きすぎた?
ジル:あ……、いえ…
我に返ったようにジルは口を覆うとため息をついた。
ジル:今の笑顔は、夫の私以外には向けないように
吉琳:え…?
重なった視線の奥に一瞬だけ熱を感じた気がして、どきりとする。
ジル:……いえ、やはり何でもありません
ジル:私はあちらの方と話があるので、貴女はもう少しここにいてください
吉琳:あ……
ジルは不自然に目を合わせないまま、
私のそばを離れて貴族の男性の方に歩いて行った。
(あんなジルの顔、初めて見た…)
(……っ…だめだ、思い出すと顔が熱くなる)
気持ちを落ち着かせるために飲み物を取って来ようとすると、
近くにいた女性とぶつかってワインが体にかかってしまった。
(…! ドレスが…)
(…でも、慌てちゃだめだ)
吉琳:ぶつかって申し訳ありません。大丈夫で…――
女性:その格好、庶民のあなたにはお似合いね
吉琳:え…
下げた頭を戻すと、女性が蔑むような目で私を見下ろしていた。
(もしかして、わざとぶつかって来たの…?)
ジル:失礼
騒ぎに気づいたのか、戻ってきたジルが私と女性の間に入る。
ジル:私の妻がなにか?
女性:あなたほどの人が本当にこんな庶民と結婚するなんて、がっかりですわ
女性:でも、所詮は遊び相手でしょう?
ジル:…そうかもしれませんね
ジル:ですが、私は自分のものに手を出されるのを好みません
女性:…っ
(ジル…怒ってる?)
無表情で放たれた言葉が、いつも以上に冷たく響く。
ジル:では、私たちはこれで
吉琳:ジ、ジル…?
(この態度はまずいんじゃ…)
呆然と立ち尽くす女性を尻目に、ジルがぐっと私の手を引いて…――
ジル:来なさい
[プレミアENDに進むと……]
顔を歪めたジルが、首筋に顔を寄せて…
『そんなことを言われると…貴女を求めてしまいそうになる』
第4話-プレミア(Premier)END:
ジル:では、私たちはこれで
吉琳:ジ、ジル…?
(この態度はまずいんじゃ…)
呆然と立ち尽くす女性を尻目に、ジルがぐっと私の手を引いて……
ジル:来なさい
***
吉琳:ジル、どこに行くの?
ジル:屋敷に帰ります。その格好でいるわけにはいかないでしょう?
吉琳:……ごめん
(頑張ろうと思ったのに、結局ジルの足を引っ張ってしまった…)
ジル:あなたが謝る必要は…――
ふとジルが足を止めた時、足音が近づいて来た。
領主:なんだ、お前の妻のみっともない格好は
(……っ、領主様)
ジル:…何の用です?
私を背中に隠すように、ジルが領主様と向き合う。
領主:花嫁になる予定だった女を見に来ただけだ。だが、その格好…
領主:お前への嫌がらせのために妻にしようとしたが、しなくて正解だったな
(嫌がらせ…?)
はっとジルを見上げると、険しい表情が目に飛び込む。
(領主様への報復のために私を妻にしたって聞いたけど…)
(あの話は嘘だったの?)
領主:おい、女。お前がその男を選んだせいで俺はいらぬ恥をかかされたぞ
領主:約束を違えたのだから、花屋はどうなっても構わんな?
吉琳:……っ、それは…――
ジル:妻のものに手を出せば、クリストフ家が黙っていませんよ?
低い声で告げるジルを、領主様が鼻で笑う。
領主:お前ごときが俺に対抗できるとでも?
ジル:ええ
吉琳:ジル…
思わず名前を呼ぶと、ジルの手が肩に回された。
ジル:行きましょう、吉琳
ジルが領主様から目を逸らし、私の肩を抱いたまま歩き出す。
(なんだか…守られてるみたい)
肩に置かれた温もりが、どこか優しく感じられた。
***
屋敷に戻って着替えた後、ジルとソファーに並んで紅茶に口をつける。
(そうだ、パーティーで迷惑をかけたこと謝らないと)
吉琳:あの、ジル…――
口を開きかけた時、ふいにジルの手が頬を撫でた。
ジル:吉琳、今夜は本当に立派でしたよ
吉琳:え…?
ジル:貴女の振る舞いのことです
ジル:よく頑張りましたね
(優しい表情…)
(何度も冷たく突き放されたけど、やっぱりこっちが本当のジルなんじゃないかな)
ジル:教えた作法も身についていたようですし
ジル:この屋敷を出た後も、どこか大きな屋敷で雇ってもらえるかもしれませんね
私の頬から手を離して紅茶を口に運ぶジルに、少し身を乗り出す。
吉琳:それなら…役目を終えた後、この屋敷で雇ってもらうことはできないかな?
前から少しだけ考えていたことを口にすると、
途端にジルの眼差しが冷たくなっていく。
ジル:なぜです?
吉琳:それは…
(ジルが好きだから…そう言いたいけど)
優しさの消えた表情を前に、言葉が喉の奥に押し込まれてしまう。
吉琳:…ううん、何でもない。今のは忘れて
ジル:――…雇っても構いませんよ
吉琳:え?
ジル:ただし、その場合…
とん、と肩を押され体をソファーに押しつけられる。
吉琳:…っ、ジル…?
ジル:貴女の仕事は私を癒やすことになります。…この体で
吉琳:…っ……
指先で体の線をなぞられ、息を詰める。
(どうして近づこうとするといつも、傷つけるようなことを言うんだろう)
(まるで、わざと距離を置きたくなるよう仕向けてるみたい)
ジルは髪を一房持ち上げると、挑発するように音を立ててキスをした。
ジル:自分を私に差し出しますか?
(ここで引いたら、きっとジルの心に触れられない)
吉琳:…それでジルが満足するなら、いいよ
ジル:……そうですか
一瞬だけ顔を歪めたジルが、首筋に顔を寄せて…――
ジル:では、雇う前に体の相性を確かめておきましょう
吉琳:…っ……
柔らかな熱が肌に強く押しつけられ、上から下へ辿っていく。
同時にブラウスの上から体を撫でられ、自然と息がこぼれた。
(…っ……耐えなくちゃ)
ジル:こんなに体を固くしていては、癒やされるものも癒やされませんよ?
吉琳:ジル、こそ…意地悪なことを言いながら
吉琳:どうして時々苦しそうな顔をするの…?
ジル:……!
ジル:そんな顔は…
吉琳:してる。…そう見えるんだよ
顔を逸らすジルの頬を手で包み、視線を合わせる。
吉琳:だから、突き放せないの。…好きな人が苦しんでるのは、嫌だから
ジル:好き……?
吉琳:うん…私は、ジルが好き
吉琳:この屋敷に連れて来られる前から、ずっと好きだったの
ジル:……っ
(冷たくされて傷ついたりもしたけど…領主様の言葉で確信した)
(やっぱり本当のジルは、ずっと私が知ってる優しい人なんだって)
吉琳:ジルは、私が傷つく言葉を選んでるよね?
吉琳:それがわかるから、もう私は傷つかない
(きっと、冷たくするのには理由があるんだ)
ジル:…そう思いたいのなら、好きにしてください
ジルは頬から私の手を払うと、力づくでブラウスを一気に開いた。
吉琳:…っ…
胸の膨らみに唇が触れ、ぞくりと痺れるような感覚に包まれる。
(覚悟を見せるんだから、抵抗しちゃだめ…っ)
乱暴なキスが肌を撫でるのを、手に力を込めて耐える。
ジル:…抵抗一つしないのですね。屋敷に来た日は私を叩いたというのに
吉琳:…そ、んなこと…もうしないよ
吉琳:これでジルが本当に癒されるなら、好きにしていい
吉琳:私は傷つかないから大丈夫だよ
ジル:…っ、貴女は……
声を荒げたジルが、痛いほど私の手を握る。
(ジル…?)
沈黙が続いた後、弱々しい吐息が肌を撫でた。
ジル:……本当に、馬鹿な人ですね
ジル:そんなことを言われると…貴女を求めてしまいそうになる
吉琳:え……
体にかかる重みが軽くなり、ジルが離れていく。
自由になった体を起こすと、
ジルはソファーの端に座って自嘲めいた笑みを浮かべた。
ジル:本当に馬鹿なのは私ですね
ジル:貴女に嫌われようとしていたのに、中途半端にしか振る舞えない
ジル:そばにいると、大切にしたい気持ちの方が大きくなって仕方がないのです
(やっと、本当のジルに触れられた…)
(でもこんなの、もう好きって言ってるようなものだよ…)
目の奥が熱くなり、ジルの腕にそっと額を預ける。
吉琳:どうして私に嫌われるように振る舞ったの…?
ジル:それは…――
???:ジル様…!
ジルの声を遮るように、突然扉が激しくノックされた。
(この声は、ユーリ…?)
ジル:どうしました?
ユーリ:さっき、街の花屋が火事になってるって報告が…――!
(え…――)
***
急いで花屋に駆けつけると、慣れ親しんだ建物は、無残な姿に変わっていた。
(ひどい…こんなことって……)
ジル:花屋のご夫婦は、火事が大きくなる前にレオが助け出したそうです
ジル:怪我はないようですが、今は念のため病院で検査を受けてもらっています
吉琳:よかった…ありがとう
レオ:…ごめん、吉琳ちゃん
レオ:ジル様に頼まれて、領主様が手出しして来ないようにって見張ってたんだけど…
レオ:守りきれなくて…ごめん
吉琳:そんなことない、レオがいてくれたからお店のご夫婦が助かったんだよ
吉琳:本当にありがとう
レオ:吉琳ちゃん…
ジル:ですが、領主がこれほど強引な手を使ってくるとは…
しばらくの重い沈黙の後、ジルはゆっくりと私に向き直った。
ジル:貴女を遠くの街に送ります。花屋のご夫婦と共にそちらに移りなさい
吉琳:え……
ジル:これ以上領主の危害が及ぶ前に、貴女を死んだことにしなくては
ジル:次は、貴女の命が狙われる可能性もあります
私のことを案じてくれている言葉に、冷たいジルの面影はどこにもない。
吉琳:…やっぱり、ジルは最初から私を守ろうとしてくれてたんだね
ジル:それは…
吉琳:言う通りにするから、本当のことを教えて
しばらく見つめ合うと、ジルが観念したように小さく息をはく。
ジル:…後で必ず話します。今はすぐに支度を
***
――…翌日の早朝
ジルは店の夫婦を先に列車に乗せて、私にすべてを話してくれた。
吉琳:やっぱり、領主様の言ってた嫌がらせって本当だったんだ
ジル:ええ。私が貴女を気に入っていることをどこからか聞きつけたようです
ジル:…貴女があんな男の妻にならなくてよかった
ジル:ですが、私の事情に貴女を巻き込んで申し訳ありませんでした
吉琳:ううん。…それより、ジルはこれからどうするの?
ジル:あの領主を退任に追い込みます。数年は忙しくなるでしょうね
吉琳:そっか…
(これでジルとは本当にお別れなんだ…)
(…離れたく、ないな)
胸に痛みが過ぎった時、構内にベルの音が響き渡る。
吉琳:…そろそろ、行くね
お別れの挨拶を告げようとすると、優しく抱き寄せられて…――
ジル:吉琳…貴女は、私を一生許さないでください
吉琳:…ジル?
わずかに掠れた声が鼓膜を揺らしていく。
ジル:私は結局何ひとつ貴女の大切なものを守ることができず
ジル:傷つけることしかできなかった
吉琳:……っ、そんなことない
ジルの背中を、強く抱きしめ返す。
吉琳:ジルが私を花嫁に望んでくれたから、領主様の妻にならずに済んだんだよ
吉琳:作法を教えてくれたことは、きっと他の職場でも役に立つ
吉琳:それに…そばにいられて、嬉しかった
ジル:吉琳…
吉琳:だから、傷つけられてなんかないよ
胸に額を押し当てると、ジルの手が愛おしむように髪を撫でた。
(昨日はっきりした言葉はくれなかったけど)
(ジルも私と想いは同じなんだよね…?)
ジル:吉琳、すべてが終われば…――
吉琳:…?
言葉を切ったジルは、静かに首を振った。
ジル:…いえ、何でもありません
吉琳:……気になるよ
ジル:忘れてください
切ない笑みが広がった瞬間、二度目のベルが鳴り渡る。
(もう行かないと…)
少しでも温もりを残すように、ゆっくりと互いの体を離す。
ジル:…お元気で
吉琳:…うん、ジルも
(またいつか、逢えるよね?)
(――…ううん、絶対に逢いに来る)
後ろ髪を引かれる思いで、私は列車に乗り込んだ。
***
吉琳が乗った列車を見送り、ジルが自嘲気味に微笑む。
ジル:すべてが終われば貴女を迎えに行きたいなど…
ジル:言えるはずがありませんね
***
――…数年後
(この辺り、変わってないな…)
懐かしい街並みを歩いていると、噂話が耳に入ってくる。
男性:新しい領主様がたくさんの使用人を募集してるらしいな
女性1:新しい領主様かっこいいよね!
女性2:数年前に火事で奥さんを亡くしたって噂だけど
女性2:使用人より花嫁は募集してないのかなー
そんな噂話を辿りながら、街で一番大きな屋敷の前で足を止める。
ユーリ:あれ、あなたは…
ユーリ:お待ちしてました。こちらへどうぞ
***
案内に従って部屋に入ると、数年前と変わらない愛しい人の姿がそこにあった。
ジル:貴女は…
(久しぶりに逢ったけど、やっぱり気持ちは変わってない)
顔を見ただけで湧き上がる喜びに、涙が浮かびそうになる。
それでも気持ちを告げるため、真っ直ぐにジルを見つめた。
吉琳:ここで雇って頂きたいのですが
見開かれたジルの瞳が、
徐々に優しい笑顔に変わっていく。
ジル:貴女には使用人よりも、もっとふさわしい仕事がありますよ
椅子から立ち上がり、歩いてきたジルが私の前で足を止める。
ジル:私の妻となり、隣でずっと支えてくださいませんか?
吉琳:はい…!
差し出されたジルの手に、迷うこなく手を重ねる。
もう一度、心から愛した人の花嫁になるために…――
fin.
[スウィートENDに進むと……]
『好きなら、こんな風に乱暴に扱うと思いますか?』
第4話-スウィート(Sweet)END:
ジル:では、私たちはこれで
吉琳:ジ、ジル…?
(この態度はまずいんじゃ…)
呆然と立ち尽くす女性を尻目に、ジルがぐっと私の手を引いて……
ジル:来なさい
吉琳:あ……
多くの人の視線を気にした様子もなく、ホールを後にした。
***
休憩室として開かれていた部屋に入ると、ジルが上着を脱いで私に手渡す。
ジル:吉琳、ドレスを脱ぎなさい
吉琳:え…っ
ジル:濡れた服を着ていては体が冷えるでしょう?
ジル:頼んで着替えを用意させますから、それまで羽織っていてください
吉琳:うん…
渡された上着は、ジルの体温が残っていて温かい。
(さっきみんなの前で迷惑をかけてしまったのに…)
私を責めるわけでも、怒るわけでもなく、
こんな時に限って優しくしてくれるジルに、胸が苦しくなる。
吉琳:上着、ありがとう…
ジル:…どうして泣きそうな顔をしているのです?
ジル:脱げと言われたのがそんなにショックでしたか?
吉琳:…違うの。ちゃんと今日の務めを果たしてジルの役に立ちたかったのに
吉琳:むしろ迷惑をかけてしまったから…
(私がもっと立派に振る舞えてたら、何も言われなかったのかな)
悔しくて、悲しくて、想いを抑えるように手を握り込む。
吉琳:やっぱりジルが言った通り、頑張っても私じゃつりあわな…――
言葉の途中で腕を引かれ、ジルの胸に倒れ込む。
吉琳:…っ、ジル?
ジル:…今日の貴女に、粗相などひとつもありませんでしたよ
頭の後ろに手が添えられ、ジルの肩口に頬が触れる。
ジル:私の目から見ても、立派なレディでした
ジル:会場にいる誰よりも、貴女が美しかった
ジル:だから貴女は、自信を持っていいんですよ
吉琳:…っ……あり、がとう
言葉がひたすら優しく真摯に響いて、視界が滲みそうになる。
(今のジルは、私が屋敷に来る前の優しかったジルみたい)
(やっぱり、この優しさが本当のジルなんじゃないかな…?)
***
――…屋敷に帰るため車を呼んでくると言ったジルを外で待っていると、
恰幅のいい男性が靴音を響かせながら、私のもとにやって来た。
領主:もう帰るのか? クリストフ夫人
吉琳:領主様…
警戒して向き合うと、領主様が鼻で笑う。
領主:お前がクリストフ家の花嫁になるとは、ある意味嫌がらせは成功だな
吉琳:嫌がらせ…?
領主:ああ。もともとあの男がお前のことを気に入っている様子だったから
領主:私の花嫁として、お前を迎えてやろうと思ったんだ
吉琳:え…
領主:だが、それを避けるために本当に庶民のお前を妻にするとは…
領主:何の後ろ盾も持たない娘を妻に迎えたクリストフ家は終わりだな
(どういうこと…?)
(ジルは、領主様への報復で私を奪ったって…)
???(艾伯特):お取り込み中失礼します
言葉を返す前に、知らない男性が領主様に歩み寄る。
???(艾伯特):会場で、客人があなたのことを探していましたよ
領主:そうか…娘の相手をしている場合ではなかったな
傲慢な笑みを覗かせた後、領主様が屋敷に戻っていく。
残った男性が、私の方を振り返った。
???(艾伯特):大丈夫でしたか?
吉琳:あ…はい……
(この言い方…助けてくれたのかな?)
吉琳:ありがとうございます。あの、あなたは…
ジル:アルバート…?
吉琳:あ…ジル
アルバートと呼ばれた男性に、ジルが怪訝そうな顔をする。
ジル:何かありましたか?
アルバート:彼女が領主に絡まれているようでしたので、少し口出しを
アルバート:このような場では、目を離さない方がいいのでは?
ジル:そうですね…ありがとうございます
アルバート:いえ。…では、私はこれで
去っていくアルバートさんを見送り、隣に立つジルを見上げる。
吉琳:ジル、あの人は…?
ジル:領主の弁護士ですよ。私の知人でもあります
ジル:それより…
ジルが少しだけ膝を屈め、私の頬に手を伸ばして…――
ジル:領主に何もされませんでしたか?
吉琳:うん、少し話をしただけだから…
ジル:それならいいんです。貴女が無事でよかった
大切なものに触れるような手つきで頬を撫でられ、胸の音が忙しくなる。
(領主様のさっきの話が本当なら…)
(報復のために私を花嫁に選んだって、嘘なのかな?)
大きな手に少しだけ頬を押しつけるよう頭を傾けると、
ジルははっとしたように、すぐに手を引っ込めてしまった。
ジル:こんなことをしている場合ではありませんね。…行きましょうか
吉琳:…うん
不自然なほど冷たくなったジルに、疑問はますます膨れ上がる。
(突き放すように接するのは、何か理由があるんじゃないかな…?)
(ジルの気持ちが知りたいよ…――)
***
――…翌日の夜
ジルの仕事が終わった頃を見計らい、部屋を訪ねた。
ジル:どうしました?
吉琳:ジルに聞きたいことがあって…
ジル:それなら、手短にお願いします
読んでいる書類から目を離さないまま、ジルが先を促す。
吉琳:いつ私を死んだことにするの?
ジル:…そうですね。そろそろでしょうか
ジル:話がそれだけなら、忙しいので出ていって頂けますか
吉琳:…もう一つ教えて
吉琳:ジルが私を花嫁にしたのは、本当に領主様への報復のため?
昨日からずっと考えていた疑問を投げかけると、
書類に視線を落としていたジルが、初めて顔を上げた。
ジル:最初からそう言っているはずですが、何が言いたいのです?
吉琳:昨日、パーティーで車を待っていた時…
吉琳:領主様から、ジルに嫌がらせをしかけた話を聞いたの
ジル:…………
吉琳:あの言葉が本当なら、ジルは私を守るために花嫁にしたんじゃないかって…
ジル:さっきからずいぶん勝手なことを言っていますが…
ジル:そんなはずないでしょう?
ジルが椅子から立ち上がり、私に歩み寄る。
逃げずにいると、そのまま近くのベッドに押し倒された。
吉琳:ジル…っ
ジル:好きなら、こんな風に乱暴に扱うと思いますか?
吉琳:……っ…
(ジルは…気づいてないのかな?)
目の前の苦悩に揺れる瞳に、胸が苦しさでいっぱいになる。
(そんな顔でこんな言葉、信じられるわけない…)
吉琳:――…嘘つき
ジルの首に腕を回し、勇気を出してその唇にキスをする。
ジル:…吉琳?
吉琳:私は…好きだよ。ジルのこと
ジル:……っ
吉琳:屋敷に来る前から、ずっとジルのことが好きだったの
吉琳:ここに来て、ひどいこともされたけど、やっぱり嫌いにはなれなかった
ジル:なぜですか…?
ジル:私は貴女をたくさん傷つけたでしょう?
吉琳:確かに、屋敷に来てからのジルは冷たかったけど
吉琳:それで屋敷に来る前までの優しさが消えるわけじゃないでしょ?
(簡単に、嫌いになれるわけがない)
首に回していた手を両頬に添え、ジルの瞳を覗き込む。
吉琳:これから死んだことにされるのはいい
吉琳:でも、ジルから離れる前に…本当のことを教えて
ジル:吉琳…
この想いがジルに届いてほしい……
そう願いながら瞳を見続けると、ジルは私の肩に額を預けた。
吉琳:ジル…?
ジル:まったく、貴女という人は…
掠れた声が響いた後、ジルは観念したように深く息をついた。
ジル:――…ええ。貴女の予想も領主の話も、本当ですよ
吉琳:……!
(やっと…教えてくれた)
吉琳:それなら、どうして私に冷たい態度をとってたの…?
ジル:パーティーの一件でわかったでしょう?
ジル:私の本当の妻になれば、貴女は苦労することになります
言葉を紡ぎながら、ジルが優しく私の頬を包む。
ジル:私は貴女の笑顔が好きなのに…
ジル:その笑顔を曇らせてしまうような世界には、置いておけません
ジルは息を吸い込むと、どこか泣きそうに眼差しを和らげた。
ジル:ですから、貴女が私やこの世界に今後関わらずに済むように
ジル:嫌われるよう振る舞って距離を取ろう…そう思っていたんです
吉琳:そう、だったんだ…
(これが態度を変えた理由なら…)
(ジルは最初から、私のことを考えてくれていたってこと…?)
痛いほど伝わってくる想いに、胸の真ん中に熱が広がっていく。
ジル:私の勝手な理由で貴女を傷つけてしまい…申し訳ありませんでした
(ジル…)
体を起こそうとしたジルを、引き寄せるように抱きしめて…――
吉琳:ねえ、ジル…――私、やっぱり死ななきゃだめかな?
ジル:それは……
そばにいたいのだと伝わるように、ぎゅっと力をこめる。
吉琳:冷たくされても、心は離れられなかった
吉琳:私、ジルの本当の奥さんになりたいよ…
ジル:吉琳…
シャツを掴むと、ジルの手がためらいがちに腰に回された。
ジル:……1年、待って頂けませんか
吉琳:1年…?
ジル:今、領主を退任させるため秘密裏に動いています
ジル:手始めに領主の屋敷に協力者を送り込んでいるのですが…
ジル:この間逢ったアルバートも、そのうちの一人でした
吉琳:あ……
(だから領主の弁護士なのに、アルバートさんは私を助けてくれたんだ)
ジル:領主との問題を解決し、周囲にも貴女との関係を認めさせます
吉琳:それなら、私も一緒に…
ジル:いえ…私のそばにいると、領主が貴女に手を出してくるかもしれません
ジル:パーティーの時は何もされませんでしたが、次も無事とは限らない
ジル:ですから、病気療養ということにして遠くにいてくださいませんか?
吉琳:ジル…
不安な心をなだめるように、ジルが私の背中を優しく撫でる。
(本当は、そばにいて力になりたいけど…)
(今は近くにいると、きっとジルの負担になってしまう…)
吉琳:…わかった、ジルの言う通りにするよ
離れがたい気持ちを堪えて頷くと、ジルはようやく笑みを見せてくれた。
ジル:すべてが落ち着いたら、必ず貴女を迎えに行きます
吉琳:うん…約束だよ?
ジル:ええ
ジル:貴女は…――私の妻ですから
吉琳:……っ…うん
目を閉じると、約束の証のように唇に柔らかな熱が触れた…
***
――…そうして瞬く間に時が経ち、1年後
(わあ、綺麗……!)
一面の花畑に両手を広げると、隣にいたジルが笑みをこぼした。
ジル:貴女が話してくださった通り、綺麗ですね
吉琳:でしょ? この花畑をずっとジルに見せたかったの
花の甘い香りに、1年前の記憶が蘇る。
〝ジル:貴女がそれほど心惹かれる花を、見てみたいですね〞
〝吉琳:それなら、今度お連れしましょうか?〞
〝ジル:いいのですか? ぜひお願いします〞
すべての問題を解決して私を迎えに来てくれたジルは、
あの時の約束をちゃんと覚えてくれていた。
ジル:ようやく約束を果たせて嬉しいですよ
吉琳:私も…ジルと一緒にこの景色を見ることができて嬉しい
(一人で見た時よりも、ずっと綺麗に見える)
頬を緩めると、そっと指を絡められた。
吉琳:ジル…?
ジル:貴女のその笑顔がいつまでも続くように…
ジル:幸せにします…私の手で
吉琳:ありがとう。私も、ジルを幸せにするよ
(私たちは…夫婦だから)
吉琳:二人で一緒に幸せになろう?
ジル:――…ええ、必ず
手を握り返すと、花の香りを乗せた優しい風が吹き抜ける。
溢れた笑顔を包み込むように、花が舞い上がった――…
fin.
エピローグEpilogue:
――…障害や困難を共に乗り越え、彼の花嫁になったあなた…
愛する旦那様との夫婦生活は、とろけるほどに甘く、刺激的…――
………
ジル:…私を煽るのが上手な妻ですね
ジル:明日も早いのでこのくらいにしておこうと思いましたが
ジル:気が変わりました
治まっていた熱を呼び戻すように、背中から太ももが撫でられて…――
吉琳:は、早いなら休んだ方が…っ
ジル:大丈夫です。新婚なのですから、多少寝坊をしても許されますよ
………
結婚後もドキドキが止まらない彼との時間に、身も心も溶かされてみる…?