小標

Summer Memories~ひと夏の王子様~(ジル)

今回のシナリオイベントはひと夏の恋をテーマにした、
甘く切ないストーリーが楽しめるイベントだよ♪

標

――…この夏、旅行で異国の地を訪れたあなた…
そこで待っていたのは、別れの時が決まっている恋だった……
あなたが夏に出逢う、運命の彼は…?
………
吉琳:…ジルが今も茶道をやってるのは、ちょっと意外だったな
ジル:そうでしょうね
ジル:昔の私は、上手にお茶を点てることすらできませんでしたから
茶道家であるジルとのひと夏の恋の内容は…?
ジル:それはまた…ずいぶん可愛らしい仕返しですね
ジル:どうせなら、本当にキスをしてくださっても構いませんよ?
………
この恋はひと夏で終わるのか、それとも…――
太陽よりも熱い夏の恋をお楽しみに…!

 

 

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大標

序

プロローグ:

 

――…真夏の街に陽炎が立ち上る午後

(困ったな…)

初めて訪れた異国の地で、地図を片手に立ち尽くす。

(いきなり迷っちゃった…誰かに道を聞いた方がいいかな)

知らない景色を見回したその時、通りすがりの男性と目が合った。
???:君、もしかして迷ってる?
吉琳:…っ、はい。このホテルの場所がわからなくて…
印のついた地図を差し出すと、男性が『ああ』と小さく声をこぼす。
???:ここなら案内できるよ。ついておいで
吉琳:いいんですか?
???:もちろん。迷ってる女の子を放っておけるわけないでしょ?
吉琳:ありがとうございます…!

(優しそうな人だし、ついて行っても大丈夫だよね…?)

歩き出した男性の隣に並ぶと、柔らかい笑みを向けられた。
レオ:俺のことはレオって呼んで。君の名前は?
吉琳:吉琳です
レオ:じゃあ、吉琳ちゃんって呼ぼうかな
レオ:この街の人じゃないよね?
吉琳:はい。夏の間だけ、ここで過ごそうと思ってます
レオ:そっか
レオ:俺はこの近くに住んでるから、困ったことがあればいつでも声かけてね
そう言って、レオさんが足を止める。
レオ:着いた、ここだよ

(ほんとだ…意外と近い場所にあったんだな)
(レオさんが案内してくれなかったら、気づかなかったかもしれない)

吉琳:ありがとうございます、助かりました
吉琳:そうだ、何かお礼を…
レオ:お礼なんていいよ。吉琳ちゃんと知り合えたことで十分
吉琳:でも…
言葉を重ねようとすると、レオさんがぐっと距離を詰める。
レオ:どうしてもって言うなら、お礼はキスでどう?
吉琳:え…っ
???:レオ

(…? この声は…)

突然響いた声に振り返ると…――

 

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とびきり甘くて、とびきり切ない、運命のひと夏が始まる…
あなたはこの夏、誰と恋をする…?

>>>ジルと過ごす

吉爾

 

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第1話:

 

――…目が眩むほどの青空に、真っ白な入道雲が沸き立つ午後
???:レオ
突然響いた声に振り返ると、そこには優しそうな顔立ちの男性がいた
???:彼女が困っているようですよ…?
レオ:ああ、ごめんごめん。調子に乗っちゃったね
吉琳:い、いえ…
レオさんが体を離し、男性と向き合う。
???:レオ、彼女と知り合いなのですか?
レオ:ううん、さっき道に迷ってたから案内しただけ

(あれ…?)

男性と目が合った瞬間、強い既視感を覚える。

(この人、なんだか見覚えがあるような…)

じっと見つめていると、男性が唇に笑みを乗せた。
???:お久しぶりですね、吉琳
吉琳:…っ、どうして私の名前を?
???:私のことを覚えていませんか?
???:昔、貴女の家でお世話になったことがあるのですが…
その言葉に、ふいに子どもの頃の思い出が脳裏をかすめる。
吉琳:あっ、もしかして…ジルさん?

(昔、私の実家でホームステイをしてた…)

浮かんだ名前を口にした瞬間、ジルさんは嬉しそうに笑みを深めた。
ジル:そうです
ジル:よければ私のことは、昔のようにジルと呼んでください
吉琳:うん。…ジル、久しぶり
ジル:ええ。ずいぶん成長されましたね
吉琳:ジルの方こそ…
レオ:ねえ、二人はどういう関係なの?
目を瞬かせるレオさんに、ジルが懐かしそうに目を細める。
ジル:昔、私が異国へ留学した際…
ジル:ホームステイ先のご家族に、彼女がいたんですよ

(懐かしいな…)

私がまだ学生だった頃、異国の文化を学ぶためにやってきたジルと、
1年ほど同じ屋根の下で暮らしたことがある。

(あれからもう何年も経ったのに…私のこと覚えててくれたんだ)

吉琳:もう一度ジルに逢えるなんて思わなかったよ
レオ:あれ? 吉琳ちゃんはジルに逢いに来たわけじゃないんだ
吉琳:はい。会社の上司が懸賞で当てた旅行券を譲ってくれて…
吉琳:ちょうど夏季休暇もたくさん取れたので、この街に来たんです
レオ:じゃあ、二人が再会できたのは偶然だったんだね
ジル:いえ、偶然ではないかもしれませんよ…?
吉琳:え?
ジル:私はずっと貴女に逢いたいと思っていましたから
ジル:偶然ではなく必然かもしれないと…そう思っただけです
吉琳:…っ
一瞬だけジルの笑みが艶やかな色を持った気がして、息を呑む。

(今の笑みは、なに…?)

ジル:ところで、貴女はこちらのホテルに泊まられるのですよね?
吉琳:う、うん…
どきりと鳴った胸の音に戸惑いながらも、そっと頷く。
ジル:もし時間があれば、ホテル内のカフェでお茶でもしませんか?
吉琳:いいの? 嬉しい
吉琳:せっかく逢えたんだから、ジルの話をたくさん聞きたいな
ジル:それは私の台詞ですよ
ジル:レオ、貴方も一緒にどうですか?
レオ:せっかくの誘いだけど、俺はこの後用事があるから、遠慮しようかな
レオ:それじゃあね、ジル、吉琳ちゃん
吉琳:はい。ここまで案内してくださってありがとうございました
レオさんがひらひらと軽く手を振って、その場を去っていく。
吉琳:ジル、私は今からチェックインしなくちゃなんだけど…
ジル:では、ロビーでお待ちしていますね

***

チェックインを済ませ、ロビーで待っていたジルのもとへ向かうと……
ジル:…………
吉琳:ジル?
ジルは険しい顔で、遠くにいる身なりのいい男性を見つめていた。

(知らない人を見るような顔じゃない…)

吉琳:あの人…もしかして、ジルの知り合い?
ジル:…ええ。私の親族ですが、少々厄介でして
男性が視線に気づいてやって来ようとしたその時、
ジルが私の耳に唇を寄せて…――
ジル:申し訳ありませんが、私に話を合わせていただけませんか?
吉琳:…っ
吐息が微かに耳に触れて、思わず息を詰める。

(は、話を合わせるってどういうこと?)

聞き返す前にジルは顔を離し、そばに来た男性に体を向けた。
男性1:ここで待っていれば逢えると思ってたよ、ジル

(え…?)

ホテルなのにどうして、という疑問を挟む前に会話は先へと進んでいく。
ジル:私に何かご用ですか?
男性1:この間お前に話した縁談の話、答えを聞かせてもらえるか?
ジル:その件でしたら、お断りします
男性1:なんだ、今回の女性は気に入ると思ったんだけどな。次は…――
ジル:次もその次もお断りしますよ
ジル:私にはすでに、愛する人がいますので
吉琳:…!
ジルがさり気なく、私の肩に手を回す。
ジル:そうですよね?
吉琳:え…っ

(話を合わせてって、こういうこと…!?)

艶やかな眼差しに見つめられ、混乱しながらも首を縦に動かす。
ちらりと私に視線を向けた男性は、困ったような顔をした。
男性1:君に恋人がいるとは聞いていないが…
ジル:今お話しさせていただきました
ジル:この後、彼女と用があるので失礼します

(だ、大丈夫なのかな?)

ジルが私の肩を抱いたまま、ホテルの奥へと歩き出す。

***

男性の姿が見えなくなったところで、ジルは私から手を離した。
ジル:吉琳…嘘をついて申し訳ありませんでした
吉琳:ううん。ちょっとびっくりしたけど…
吉琳:ジルは…縁談が嫌なの?
ジル:ええ、あまり気は進みませんね
吉琳:どうして?

(嘘をついてまで避けたかったってことは…何か事情があるのかな?)

隣を歩いていたジルが、ふと切なげに目を伏せる。
ジル:…心残りがあるからですよ
吉琳:心残り…?
何が心残りなのか聞きたいと思ったけれど、
ジルから話してくれる様子はなく、言葉を飲み込んだ。
ジル:正直、逢うたびに縁談の話を持ちかけられて困っていたんです
ジル:そこで、貴女に相談があるのですが…
ジルが顔を上げ、笑みを向ける。
ジル:貴女がこの街に滞在する間、私の恋人のフリをしていただけませんか?
吉琳:…っ、恋人のフリって、さっきみたいに?
ジル:そうです。夏の間、ホテルに滞在する親族の前だけでいいんです
ジル:私には恋人がいるから諦めてほしいと…そう伝わるまでお願いできませんか?

(困っているなら助けてあげたいけど、恋人か…)

肩に触れた温もりを思い出し、胸の奥で小さく音が鳴る。
ジル:協力していただけるのでしたら
ジル:貴女の旅行がいいものになるよう、私が何でもして差し上げます
吉琳:何でも…?
ジル:ええ、観光地の案内からオススメのお土産紹介まで…
ジル:私が貴女の力になりますよ

(そこまでして縁談を避けたいんだ)

ジル:もちろん無理強いはしませんが…
吉琳:…いいよ

(何か事情があるみたいだし、私で力になれるなら…)

吉琳:夏の間だけ、恋人のフリをしてあげる
はっきりと告げると、ジルの笑みが深まった。
ジル:ありがとうございます
ジル:貴女は…相変わらず優しい人ですね
吉琳:え? 今、なんて…
ジル:ただの独り言ですよ。気になさらないでください
ジルが足を止め、懐から出した手帳に文字を書き込んでいく。
ジル:貴女に私の連絡先を渡しておきますね
ジル:都合のつく時だけでいいので、協力していただけると助かります
吉琳:わかった
連絡先の書かれた紙を受け取ると、ジルは再び歩き出し
大きな扉の前で立ち止まった。
ジル:着きましたよ
吉琳:着いたって…

(そういえば、どこに向かって歩いてたんだろう?)

ジル:カフェのあるロビーには、まだ私の親族がいるかもしれませんから
ジル:予定を変更して、私の部屋でお茶を振る舞わせてください

(ジルの部屋…?)

***

音を立てて開いた扉の向こうには、スイートルームのような広い空間が広がっていた。

(すごい…こんなに豪華な部屋、初めて見た)

吉琳:ジルって、ここに泊まってるの?
ジル:いえ…泊まっているのではなく、住んでいます
吉琳:えっ、どういうこと…?
ジル:それは…秘密です

(ホテルの一室に住んでるって、普通はありえないと思うけど…)
(でも、だからあの男の人…――)

〝男性1:ここで待っていれば逢えると思ってたよ、ジル〞

(ジルがホテルに住んでるって知ってて、ロビーで待ち伏せてたんだ)

吉琳:ねえ、ジルって何者なの?

 

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第2話:

 

吉琳:ねえ、ジルって何者なの?

(そういえば私、ジルのことをよく知らない)

ジル:ただの一般人ですよ

(そう、なのかな?)

ジルの笑顔は、どこか意味深に見えた。

***

――…それから、2週間後
お互いの都合がいい時に、恋人らしくお茶をしたり、ロビーで話をしたりしながら、
夏の盛りを迎えたある日のこと。
外に出ようとホテルのロビーを歩いていると……
ジル:吉琳、これからどこかへお出かけですか?
吉琳:ジル…?
いつもと格好の違うジルに声をかけられ、目を丸くする。
吉琳:街に行こうとしてたんだけど……その格好、どうしたの?

(私の国の衣装…だよね)

ジル:ああ、これからお茶を立てようと思いまして
吉琳:お茶…?
ジル:もしお時間があるようでしたら、貴女を茶室に招待しますよ?

***

ジルの案内でホテルの人けのない場所に進むと、本当に茶室に辿り着いた。
吉琳:海外のホテルに茶室があるとは思わなかった
ジル:ここのホテルのオーナーが、貴女の国の文化を気に入っているのですよ
吉琳:そうなんだ

(ちょっと嬉しいな)

ジル:それにしても、暑いですね
小さく呟いたジルが、部屋の窓を開く。

(あ…)

生ぬるい風が吹き込むのと同時に、涼やかな音が茶室に響いた。
吉琳:風鈴もあるんだ
ジル:これもオーナーの趣味です

(…綺麗な音)

窓に下げられた風鈴に見入っていると、隣でジルが笑みをこぼして…――
ジル:貴女は…――やはり変わりませんね
吉琳:変わらないって、何が?
ジル:昔から風鈴の音を聞くと、頬が緩む癖があるでしょう?
吉琳:え、嘘…
はっと頬を押さえると、ジルが可笑しそうに肩を揺らした。
ジル:その笑顔を久しぶりに見ることができてよかったです
吉琳:…っ
愛おしそうに細められた目に、どきりとする。

(今は誰もいないから恋人のフリをする必要はないのに…)
(どうして、そんな顔をするの?)

言葉を紡げずにいると、ジルが茶器の用意をし始めた。
ジル:今、お茶を立てますね
吉琳:う、うん
無駄のない洗練された手つきでお茶を立てるジルを、じっと見つめる。

(一緒に暮らしていた頃、ジルは私と茶道の習いごとをしてたけど…)

吉琳:…ジルが今も茶道をやってるのは、ちょっと意外だったな
ジル:そうでしょうね
ジル:昔の私は、上手にお茶を点てることすらできませんでしたから

(そんなこともあったっけ。懐かしいな…)

泡立つ抹茶を眺めながら、ジルと通っていた茶道教室を思い出す。

〝ジル:お茶を点てるのは難しいですね〞
〝ジル:何度点てても、渋みの強いお茶が出来上がるのはなぜでしょう…?〞
〝吉琳:それは色々理由があると思うけど、私はジルが点ててくれるお茶も好きだよ〞
〝吉琳:渋みはあるけど、これはこれで癖になるかなって…〞
〝ジル:……ありがとうございます〞
〝ジル:貴女は、優しいですね〞

(あの頃とは比べものにならないくらい手際がよくなってる)
(きっとたくさん練習したんだろうな)

ジル:今は、この国で茶道家をやっているのですよ
吉琳:えっ、ジルが?
ジル:ええ。貴女の国の文化を広めるため、時々人を招いてお茶を点てています

(ジルって、そこまで茶道に熱意を持ってたんだ)
(子どもの頃は、そこまで熱心でもなかった気がするけど…)

吉琳:どうしてジルは、茶道家になろうと思ったの?
ジル:…どうしてでしょうね?
それ以上の追求を断るように、目の前に茶器が差し出される。
ジル:さあ、どうぞ

(茶道家になった理由は、あまり聞かれたくないのかな)

吉琳:ありがとう。いただきます
差し出されたお茶を茶道の手順に習って飲むと、
苦味の中にほのかな甘さのある抹茶特有の味が広がった。
吉琳:美味しい…
ジル:貴女にそう言ってもらえて嬉しいです
ジル:昔、不味いお茶を無理して『美味しい』と言ってくれたでしょう…?
吉琳:そ、そんなことは…

(…正直、ちょっとだけあったけど)

ジル:私を傷つけないように嘘をつく貴女の優しさを
ジル:あの時からずっと好ましく思っていましたよ
吉琳:っ…そっか…
ジルの大人びた笑顔に、鼓動が甘く高鳴っていく。

(正面から言われると…反応に困るな)

逃げるように茶器に視線を落とすと、ジルが茶道道具を片づけ始めた。
ジル:ところで、貴女は街に何をしに行こうとしていたのですか?
吉琳:あ…会社の人たちに、お土産を買いに行こうかなって
ジル:それなら、私もつき合いますよ
吉琳:いいの?
ジル:前に何でもすると約束したでしょう…?

(そういえば…――)

〝ジル:協力していただけるのでしたら〞
〝ジル:貴女の旅行がいいものになるよう、私が何でもして差し上げます〞

ジル:それに、偽物とはいえ恋人が荷物持ちをするのは当然のことですから
ジル:私を連れて行ってもらえますか?

***

――…数時間後
ジルと一緒に、路上に並んだお店を見て回る。
吉琳:あ、これ可愛い…!
ジル:リスザルの置物…ですか
雑貨店の前に立ち止まりリスザルの置物を手にとると、
ジルはなぜか眉を寄せた。
吉琳:もしかして、リスザルが嫌いなの?
ジル:そういうわけではありませんよ
ジル:ただ、リスザルを飼っている知人を思い出しまして…
吉琳:わ、偶然だね。私の上司もリスザルを飼ってるんだ
吉琳:これ、すごく可愛いし、気に入ってもらえそう

(上司へのお土産はこれにしようかな)

お店の人にお代を渡すと、返ってきた荷物を当たり前のようにジルが受け取る。
吉琳:ごめん、ありがとう

(もうすでに何個か紙袋を持ってもらってるのに…)

ジル:このくらい平気ですよ。気にしないでください
ジル:それより、貴女は先ほどから人のお土産を買ってばかりですが…
ジル:自分のものは買わないのですか?
吉琳:私は、欲しいものがないから

(それに、ジルにこれ以上荷物を持たせるのも申し訳ない)

ジル:…それは困りましたね
吉琳:何が?
ジル:このままでは、恋人に何も買ってあげることができません
吉琳:…っ、そんなこと考えてたの?
ジル:ええ。私は、恋人は甘やかしたい主義なので
わざとらしく息をつくジルに、また胸が騒ぎ出す。
吉琳:恋人って言っても偽物でしょ?
ジル:では、協力いただいているお礼、ということにしましょうか
可笑しそうに笑うジルのその言い方は、どこまでも甘やかしているように聞こえた。

(本物でもないのに、甘やかされたら勘違いしそうで…困るよ)

ギリギリのところで踏みとどまっている想いの境界線を越えてしまいそうで、
胸に滲み出した甘い熱をごまかすように、再び雑貨に視線を向けた。

(これ以上どきどきするようなことがあれば、私は…)

ジル:吉琳、そのまま動かないでください
吉琳:…?
つい動きを止めると、ジルが私の髪に手を伸ばして…――
ジル:思った通りですね…――よく似合っていますよ
一瞬だけ触れて、すぐに離れていく。
吉琳:似合う…?
ジル:鏡を見てください
言われた通り近くの鏡に顔を向けると、頭に挿してある髪飾りが目に入った。

(可愛い…貝殻の髪飾りだ)

ジル:それ、私から贈らせていただけませんか?
吉琳:…! だ、だめ。受け取れない
ジル:お礼だと言っても、ですか?
吉琳:だって……やっぱりお礼じゃなくて、恋人扱いされてるように思っちゃうから
ジル:…手厳しいですね
髪飾りを外して、そっと元の場所に置くと、ジルが苦笑する。
その表情が本当に残念そうに見えて、微かに胸が痛んだ。
吉琳:…どうしてジルは、そんなに私を恋人として扱いたいの?
ジル:どうして、とは…どういう意味ですか?
恋人のフリを頼まれた時には浮かばなかった疑問が、ふと脳裏に浮かぶ。
吉琳:今思ったんだけど…
吉琳:縁談を断りたいなら、親族の方に口先だけで嘘をつけばよかったんじゃないかな
吉琳:私がわざわざ、恋人のフリをする必要はなかった気がする

(ジルだって、)
(メリットよりも私の相手をしないといけない面倒の方が多そうだし…)

ジル:貴女は…妙なところで鋭いですね

 

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第3話:

 

ジル:貴女は…妙なところで鋭いですね
ジルが観念したように、ふっと肩をすくめる。

(やっぱり、何か理由が…)

ジル:この国では、貴女は知り合いもなく一人でしょう?
吉琳:え…
ジル:困った時、気兼ねなく頼ってもらえるように恋人の話を持ちかけたのですよ
ジル:優しい貴女は、ただ親切にするだけではきっと頼ってくれないでしょうから
吉琳:…それが、私を恋人扱いする理由?
ジル:ええ

(……そうだ、ジルはこういう人だった)

一つ屋根の下で暮らしていた時も、ジルからたくさん優しさを受け取ったことを思い出す。
ジル:もっとも、貴女と一緒に過ごす口実が欲しくて
ジル:偽物の恋人を持ちかけたというのもありますが
吉琳:…っ、それはからかってるでしょ?
ジル:いえ、本心ですよ?

(昔より大人になったジルは、こういうことをさらりと言うから困るけど…)

ジルの優しさと、どきりとするような眼差しの両方に、
鼓動がどんどん速くなるのを抑えることはできなかった…――

***

――…夏が半分以上過ぎた頃
いつものようにお互いの都合が合う時間帯に、
ホテルのロビーで他愛ない会話を交わしていく。
ジル:え…、貴女が私にお茶を点ててくださるんですか?
吉琳:うん。この夏、ジルにたくさんの思い出をもらったからそのお返しをしたいなって
恋人のフリ…という目的より、ただ一緒にいたい気持ちが大きくなって、
最近は、当たり前のように一緒に過ごす時間が増えていた。

(休日にはジルと海に行ったし、花火大会にも連れて行ってもらった)
(お茶を点てることで、少しでもお返しができればと思うんだけど)

吉琳:どうかな…?
ジル:ありがとうございます。楽しみに…――
言葉の途中で、ジルが突然険しい顔をする。

(何だろう? 視線が私から微妙にずれてる…)

視線を辿るために振り返ろうとしたその時、ジルの指先に顎を捉えられ…――
ジル:いけません、吉琳
吉琳:…っ
強引に視線を重ねられ、一瞬息が止まってしまう。
吉琳:な、に…?
ジル:目を合わせたら話かけられてしまいますよ

(もしかして、ジルの親族の方がいるのかな…?)

ジル:色々と問われるのも面倒ですね
ジル:このまま、見つめ合ってやり過ごしてしまいましょうか…?
吉琳:こ、このまま?
顎に添えられていた指先が、するりと頬を撫でる。
ジル:さすがに恋人同士の時間を邪魔するほど、相手も無粋ではないはずです
吉琳:そうかもしれないけど…、…っ
思わせぶりに唇を軽くなぞられ、息を詰めた。
吉琳:や…やりすぎ
ジル:不快ですか?
吉琳:そんなことはない…けど……

(いつも私ばかりがドキドキさせられて悔しい…)
(たまには、何か仕返ししたいな)

そんな衝動が込み上げて、隣の椅子に座っているジルの頬に顔を寄せる。
ジル:吉琳…?
キスのフリをして離れると、ジルは目を瞬かせた。
吉琳:…ジルが時々私のことをからかうから、その仕返し
ジル:それはまた…ずいぶん可愛らしい仕返しですね
ジル:どうせなら、本当にキスをしてくださっても構いませんよ?
吉琳:私が構うから…っ

(だめだ…どうやってもジルのほうが一枚上手(うわて)みたい)

ジルが動揺したのは一瞬で、きっと今は仕掛けた私の方がドキドキしている。

(この夏の間ずっと認めないようにして来たけど…もう無理)
(…私、ジルのことが好きだ)

夏の間に何度も心を揺さぶられ、
ぎりぎりのところで留まっていた感情が、真っ逆さまにジルに落ちていく。

(もうすぐお別れしなくちゃなのに…好きになってどうするんだろう)

目を伏せると、ふいに頬に柔らかなものが触れた。
吉琳:え…
ジル:私を惑わせた貴女に、仕返しです
一拍遅れてジルにキスされたのだと気づき、途端に頬が熱くなる。
吉琳:ジ……ジルのばか…っ
ジル:すみません
ジルの楽しそうな微笑みに、さらに甘い感情に追い打ちをかけられた気がした…――

***

――…同じ頃
ロビーの一角でジルと吉琳の様子を眺めていた男が、苦い表情を浮かべた。
男性1:あの二人は、本当に恋人だったのか
男性1:……さて、どうしたものか

***

――…数日後
昔大好きだった茶道で習ったことを思い出しながら、抹茶を泡立てていく。
吉琳:ジル、どうぞ
完成した抹茶を差し出すと、ジルは完璧な作法で茶器に口をつけた。
ジル:やはり、貴女が淹れてくれたお茶は格別ですね
吉琳:そうかな? 喜んでもらえたならよかった
ジルの笑みにほっと胸をなで下ろしながら、
茶室に響く風鈴の音に、もうすぐ夏の終わりが近いことを思い出す。

(ジルとお別れする時がいよいよ近づいて来たな…)

吉琳:ねえ、ジル。私、もうすぐ国に帰るけど…
吉琳:この夏をジルと過ごせて、楽しかったよ
ジル:吉琳…
今の想いを素直に伝えると、ジルが畳に茶器を置いた。
ジル:私も、貴女と夏を過ごせて幸せでしたよ
ジル:そのお礼に、これをお渡ししたいのですが…――
ジルが着物の懐から、貝殻の髪飾りを取り出す。
吉琳:…! それ、街で一緒に買い物した時の…

〝ジル:私から贈らせていただけませんか?〞
〝吉琳:…! だ、だめ。受け取れない〞

ジル:以前、貴女には断られてしまいましたが…本当によく似合っていたので
ジル:夏の思い出として、受け取ってもらえませんか?

(嬉しいけど、いいのかな…?)

言葉を返せずにいると、ジルの手が私の髪に触れて、貝殻の髪飾りをそっと挿し込んだ。

(偽物の恋人としてじゃなく、夏の思い出としてなら…)

吉琳:…ありがとう、ジル
吉琳:本当は可愛くて欲しいなって思ってたんだ
ジル:それを聞いて安心しました
ジルがふっと微笑んで、優しい手つきで私の髪を梳かしていく。
触れる手つきも、注がれる眼差しも、どこか甘く感じて息が苦しい。

(ジルは時々こういうことをするけど、無意識なのかな?)
(触れられるたびに、いつも思ってたけど…)

吉琳:…こうしてると、本当の恋人みたい
ジル:え…
吉琳:…っ、ごめん。今のは忘れて

(何言ってるんだろう、私…)

慌てて離れようとすると、ジルに抱きしめられて…――
吉琳:ジル…っ?
ジル:忘れられるはず、ないでしょう……?
とっさに胸を押し返すと、力を押さえ込むようにぎゅっと拘束が強くなった。
ジル:貴女は以前、『なぜ茶道家になったのか』と私に尋ねたことがありましたね

(…? その話がどうしたんだろう)

腕の中でぴたりと抵抗をやめると、ジルが耳元で静かに語りだす。
ジル:あの時は、言うのを迷っていたのですが…
ジル:私が茶道家になったのは、貴女との繋がりを絶えさせないためですよ
吉琳:…私?
ジル:ええ。貴女は昔から、茶道がお好きだったでしょう?
ジル:茶道を続けることで、貴女との繋がりが消えなければいいと…
ジル:そんなことを思って茶道家になりました
吉琳:どうして…

(そんなの、まるで…)

ジル:昔からずっと、貴女のことを想っていたからですよ
吉琳:……っ
一瞬、本当に息が止まってしまうのではないかと思うほどの甘い衝撃が押し寄せる。
ジル:縁談の話が来るようになっても、貴女のことが頭から離れませんでした
吉琳:あ…っ、まさか…――

〝吉琳:ジルは…縁談が嫌なの?〞
〝ジル:ええ…あまり気は進みませんね〞
〝吉琳:どうして?〞
〝ジル:…心残りがあるからですよ〞

吉琳:ジルが前に言ってた心残りって…
ジル:貴女のことですよ、吉琳

(うそ…)

ジル:私では、本物の恋人にはなれませんか…?
ジルの囁きに、嬉しさと戸惑いで頭の中が乱れていく。

(私だって、ずっと本当の恋人になれたらって思ってた)
(でも…数日後には、私は国に帰って……こんな風にそばにはいられなくなる)
(それなのに頷くのは、ジルのためにならないんじゃないかな…?)

吉琳:ごめん…考えさせてもらってもいい?

***

――…その日の夜
自室に向かって廊下を歩いていると、
待ち構えていたように、ジルの親族の男性が目の前に立ち塞がった。
吉琳:あなたは…
男性1:ジルのことで話したいことがあるのだが、少しいいだろうか?

***

――…そして迎えた、夏の終わりの日
ジル:吉琳…あの時の答え、考えていただけましたか?
吉琳:うん
最後のお別れをしに訪れたジルの部屋で、胸いっぱいに息を吸い込む。

(私はこの夏、ジルに恋をした)
(だから本物の恋人にならないかって言われた時は、すごく嬉しかった)
(でも…――)

〝男性1:ジルは、このホテルのオーナーであり大財閥の跡取りだ〞
〝男性1:一般の女性と釣り合うような立場の方ではないんだよ〞
〝男性1:君には申し訳ないが…どうか、ジルから手を引いてほしい〞

数日前に知った事実が、ジルへの想いに蓋を閉めようとする。
ジル:吉琳…?

(私が恋人になることは、きっとジルのためにならない)
(だから…気持ちに嘘をつかなくちゃ)

吉琳:ジル、私は…――

 

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分歧…--

 

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第4話-プレミア(Premier)END:

 

数日前に知った事実が、ジルへの想いに蓋を閉めようとする。
ジル:吉琳…?

(私が恋人になることは、きっとジルのためにならない)
(だから…気持ちに嘘をつかなくちゃ)

吉琳:ジル、私は……

(本物の恋人にはなれないって)
(ただ、そう言葉にするだけでいいのに…)

声にならない吐息を唇からはき出すと、ジルが私との距離を詰めた。
ジル:言葉にしづらいようでしたら、こうしましょうか?
吉琳:あ…
ジルに優しく抱きすくめられ、体が石のように固まってしまう。
ジル:恋人になりたくないなら、突き飛ばしてください
ジル:返事をいただかないと、永遠に離しませんよ?

(……っ、突き飛ばせるわけ、ない)

ジル:吉琳…

(――…っ)

耳元で響いた甘い囁きには確かに好意が含められていて、
必死に想いを押さえ込もうとしていた蓋が、魔法のように開いてしまう。
吉琳:…っ……好き
ジル:…!
吉琳:でも、恋人にはなれない
ジル:……なぜですか?
吉琳:ジルが、このホテルのオーナーで、大財閥の跡取りだって聞いたから
ジル:…知られてしまったのですね
ジルが私の耳元で小さく息をつく。
ジル:貴女が気軽に話しかけてくれなくなるかもしれないと思い、黙っていたのですが…
ジル:貴女に事実を伝えたのは、私の親族ですか?
吉琳:…うん
吉琳:立場のある人だから、どうか身を引いてほしいって…

(それが、ジルのためだから)

震えそうになる声を必死に抑えていると、
ジルが体から手を離し、私の胸の真ん中にそっと人差し指を添えた。
ジル:吉琳…大事なのは、貴女の心です
吉琳:私の…?
ジル:ええ。私の親族が勝手なことを言ったようですが…
ジル:あなたは私を好きだと言ってくださった。それに、突き飛ばしもしませんでしたね
ジル:貴女も私と同じで、恋人になりたいと思っているのではないですか…?
吉琳:……っ

(ジルの言う通り……だけど、一緒にいることがジルのためにならないなら、私は…)

胸元を指していた指が淡い力で首筋をなぞり、頬を包み込む。
ジル:私は、貴女以外の女性は必要ありません
ジル:どれほど縁談を申し込まれても、すべて断ります
ジル:…それほど、貴女のことを想っているのですよ
吉琳:ジル…
ジル:吉琳。私は…貴女が恋人でいてくれたこの夏が、人生で一番幸せでした
吉琳:……!
ジル:ですから…抑え込まずに、本当の貴女の気持ちを聞かせていただけませんか?
その囁きで、心の中の最後の砦がガラガラと崩れ落ちる音がした。

(ここまで私のことを求めてくれる人は、他にいない)

吉琳:……に…なりたい

(もし私が、ジルを幸せにできるなら…ジルもそれを、望んでくれるなら)

吉琳:ジルの本当の恋人に、なりたい…っ
広い胸に額を預けて声を絞り出すと、わかったと言うように優しく髪を撫でられた。
ジル:吉琳、顔を上げてください
吉琳:え…
ジル:伏せられてはキスができないでしょう…?

(……っ、今、絶対ひどい顔してるから上げたくない)

首を横に振ると髪をかき分けられ、うなじに指が滑った。
吉琳:あ…っ
耐えがたい感覚にはっと上を向くと、艶めいた瞳が近づいて…――
感触を感じられないほど淡いキスが、唇を掠めた。
ジル:ようやく顔を上げてくださいましたね
吉琳:ジル…
ジル:私は、今のでは全然足りないのですが…
ジル:もっとしてもいいですか?
小さく頷くと、今度は柔らかい感触がしっかりと唇を覆う。
吉琳:ん…っ、……ふ
うなじに手を添えられたまま、お互いに吐息を交わしていく。
唇が離れる頃には一人で立つのが辛くなっていて、ジルに体を預けた。
ジル:――…これで、貴女は私の本当の恋人です
ジル:吉琳…これからはたくさん、わがままを言ってくださいね
吉琳:わがまま?
ジル:例えば、貴女が私に逢いたいと願ってくだされば、すぐに飛んでいきます
吉琳:…!
ジル:貴女が私を選んだことを、決して後悔させたくはないですから
吉琳:…それは、私の台詞だよ

(ジルが私を選んだことを後悔させたくない。だから…)

吉琳:私も…次に逢う時は、親族の方にも認めてもらえるように頑張るね

(諦めるんじゃなくて、自分でも頑張ってみよう)

ジル:そこは私がどうにかするところですが…
ジル:貴女にそう言っていただけるのは、嬉しいですね
幸せそうに微笑んだジルにまた唇を塞がれ、甘い想いに溺れていく。
お互いの気持ちを確かめ合うように何度もキスを交わして、
夏の最後に、私たちはようやく本物の恋人になった…――

***

――…それから、1年後
季節は移ろい、再び夏が巡ってきた。

(どうしてこんなことになったんだろう…?)

クロード:吉琳、もう飲まないのか?
ジル:クロード、彼女にお酒を勧めすぎです
クロード:知らないのか、ジル。吉琳は結構飲める口だぞ

(私の国にやって来たジルとバーに飲みに来たけど…)
(どうしてクロードさんまでいるの?)

会社の上司であるクロードさんとジルの間に挟まれ呆然としていたけれど、
はっと我に返って、口を開く。
吉琳:あの…二人は、どういったお知り合いなんですか?
ジル:仕事で時々、つき合いがあるだけですよ
クロード:あと、飲み仲間だ。ジルがこっちに来た時は大抵酒を一緒に飲むんだが…
クロード:そういえば、1年くらい前にここで吉琳の話をしたよな
吉琳:私の?
ジル:クロード
ジルがなぜか諌めるような鋭い声を飛ばすけれど、
その声とは裏腹にクロードさんは笑みを深めた。
クロード:1年前の春頃、ちょうどこっちに来てたジルと飲む機会があってな
クロード:そこでたまたま、俺の優秀な部下のことを話したら…――

〝ジル:貴方は…吉琳を知っているのですね〞
〝クロード:お前こそ、知り合いか?〞
〝ジル:ええ。…昔からずっと忘れられずにいる女性です〞
〝ジル:どれほど多くの縁談を持ちかけられても、まったく興味を持てないほどに…〞
〝クロード:それは知らなかったな。…だが、お前は大財閥の跡取りだろ?〞
〝クロード:縁談をずっと断り続けるわけにもいかない。…違うか?〞
〝ジル:違いませんよ。彼女のことは、どうにかして忘れようと思っていたところです〞
〝ジル:…しかし、貴方の知人でしたら話は別ですね〞
〝クロード:俺に何をさせたいんだ?〞
〝ジル:今度、私が用意するホテルの宿泊券と飛行機のチケットを渡していただけませんか?〞
〝クロード:それはお安いご用と言いたいところだが…〞
〝クロード:吉琳に逢ってどうする気だ?〞
〝ジル:私のことを忘れているようでしたら、きっぱり諦めます〞
〝ジル:ですが、もし覚えていてくださったら…〞
〝ジル:その時は、ひと夏の可能性にかけたいと思います〞

クロード:――…それで、お前とジルは無事逢えたわけだ

(…知らなかった)
(昨年の夏にジルと再会出来たのは、偶然じゃなかったんだ)

ジル:クロード…言わないでくださいと約束したはずですが
クロード:覚えてないな
どこかばつの悪そうな顔をするジルに、自然と笑みが込み上げる。
吉琳:ありがとう、ジル
吉琳:私、ちゃんと知ることができてよかったよ
ジル:…貴女がそうやって笑ってくださるなら、クロードのことは不問にふしましょう
クロード:お前な…
昨年の夏が始まる前の新しい事実を知って、
また、ジルへの想いが膨れ上がっていった…――

***

――…数時間後
ジルが所有している屋敷に招かれ、お風呂上がりの体を縁側で冷ましていく。

(それにしても…寝間着として浴衣を着るのは初めてだな)

ジルに貸してもらった浴衣に頬を緩めると、足音が近づいてきた。
ジル:吉琳、ここにいたのですね
吉琳:うん
ジルが隣に座ると、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。

(ジルもお風呂上がりだからかな…)

吉琳:すごくいい香りがする
思わず呟くと、ジルが悪戯っぽい笑みを浮かべて…――
ジル:それなら、もっとそばに来ますか?
誘われるように両手を広げられ、慌てて首を横に振った。

(膝の上に座ってってことだよね? さすがにそれは…照れる)

ジル:そうですか…
ジル:貴女が腕の中に飛び込んで来てくだされば
ジル:私は今あなたが隣にいてくださるより、もっと幸せな気分になれると思うのですが
吉琳:…その言い方はちょっとずるい

(わざとだってわかってるけど…)
(そんなに悲しそうな顔されると断れないよ)

恥ずかしさをぐっと堪えてジルのそばに寄ると、
広げられた両腕が私を抱え、膝の上に乗せられた。
ジル:貴女からもいい香りがしますね
吉琳:…っ、ジルと同じ香りのはずだけど
ジル:ですが、私よりずっと甘い気がします
首筋に顔を寄せられ、吐息が肌を撫でていく。

(なんだか…変な声が出そう)

ぎゅっと唇を結んだ時、夜風とともに涼しい音が耳に届いた。
吉琳:あ、風鈴…
綺麗な音につられて、無意識に頬が緩む。
吉琳:そういえば、ホテルの茶室にも風鈴が飾ってあったよね
吉琳:ジルって、風鈴が好きなの?
ジル:ええ、好きですよ
ジル:この音を聞くと、貴女の笑顔を思い出すんです
吉琳:私?
首筋から顔を離したジルが、私の頬に手を添える。
ジル:貴女には昔から、風鈴の音を聞くと頬を緩める癖があると前に教えたでしょう?

(あ…――)

〝ジル:貴女は…やはり変わりませんね〞
〝吉琳:変わらないって、何が?〞
〝ジル:風鈴の音を聞くと、頬が緩む癖があるでしょう?〞
〝ジル:その笑顔を久しぶりに見ることができてよかったです〞

ジル:だから、好きなのですよ
ジル:風鈴は私にとって、貴女の笑顔の象徴ですから
吉琳:…っ

(そんな理由…だったんだ)

頬に熱が集まるのを感じていると、ジルが顔を傾けて……
ジル:…もっとも、風鈴よりも本物の貴女の方が好きですが
吉琳:ん…っ……
優しく重ねられた唇が、想いを伝えるように吐息を奪っていく。
絡められた舌に息が苦しくなったところで、ジルが唇から耳へと柔らかな熱を滑らせた。
ジル:吉琳…
吉琳:…ぁ
耳をやんわりと挟まれ、甘い刺激に目の前の体にしがみつく。
ジル:このまま、貴女を抱いてもいいですか?
吉琳:そ、そういうこと…聞かないで
ジル:貴女の気持ちを教えていただきたいのですよ
吉琳:…んっ……
執拗に舌で耳をくすぐられ、甘い熱がどんどん体の奥に溜まっていく。

(答えなんて聞かなくても、ジルはわかってる気がするけど…)

吉琳:…っ……嫌なら…突き飛ばしてる、から…
ジル:そうですか
甘い声で笑うジルが、私の腰に手を回して…――
ジル:まだ本物の恋人としての夏の思い出は少ないですから…
ジル:この夜は、忘れられない夜にして差し上げますね…?


fin.

 

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第4話-スウィート(Sweet)END:

 

数日前に知った事実が、ジルへの想いに蓋を閉めようとする。
ジル:吉琳…?

(私が恋人になることは、きっとジルのためにならない)
(だから…気持ちに嘘をつかなくちゃ)

吉琳:ジル、私は……
吉琳:本当の恋人には、なれない…よ
掠れた声で気持ちを告げると、ジルが微かに目を見開く。
ジル:どうして、泣くのですか?
吉琳:……っ

(我慢、しようと思ってたのに…)

いつの間にか頬を伝った涙を指で拭うと、大きな手のひらが背中を包み込んだ。
ジル:わかりました。…では、忘れてください
吉琳:え…
ジル:私が想いを伝えたことも、この夏一緒に過ごした時間も、忘れて構いません
ジル:貴女に、悲しい顔をさせたくはありませんから

(…っ…こんな時まで、優しくしてくれなくてもいいのに)

嘘をついたことも、ジルの想いを受け取れなかったことも、
何もかもが、今はただ苦しかった…――

***

――…こうして夏は終わり、帰国したその翌日
夏季休暇が明けて初めての出勤日に、真っ先に上司のクロードさんの席へと向かった。
吉琳:クロードさん、これ、お土産です
クロード:リスザルの置物? 生意気そうだが、憎めない顔してるな。ありがとう
吉琳:いえ…こちらこそ、長い間お休みをいただきありがとうございました
クロード:ああ。ところで、夏の旅行はどうだった?
クロードさんのその一言に、楽しい思い出以上に苦い思い出が込み上げる。
クロード:その顔、何かあったんだな?
吉琳:……その、色々と
クロード:男絡みか?
吉琳:…っ、どうしてわかって…
クロード:お前の顔が、切なそうに見えたからだよ

(私、そんな顔してたんだ…)

クロード:何があった?

(クロードさんに話せば…少しは気持ちが落ち着くかな)

就業前の時間に、クロードさんに夏にあったことを手短に話していく。
クロード:――…なるほど
話を聞き終えたクロードさんは、大きく肩をすくめた。
クロード:あのジルがあっさりお前のことを諦めるとは思えないけどな
吉琳:…?

(その言い方だと、なんだか…)

吉琳:クロードさん、ジルのことを知ってるんですか?
クロード:ああ。仕事の関係でつき合いのある知人だよ
クロード:ちなみに、お前に飛行機のチケットとホテルの宿泊券を用意したのもジルだ
吉琳:え…
さらりと告げられた情報に、目を瞬かせる。
吉琳:あれは、クロードさんが懸賞で当てたんじゃ…
クロード:悪いな、それは嘘だ
クロード:ジルに黙っててほしいって言われて、適当なことを言っただけだよ

(どういうこと?)
(ジルとの再会は、意図的なものだったの…?)

〝吉琳:もう一度ジルに逢えるなんて思わなかった…〞
〝ジル:偶然ではないかもしれませんよ…?〞
〝吉琳:え?〞
〝ジル:私はずっと貴女に逢いたいと思っていましたから〞
〝ジル:偶然ではなく必然かもしれないと…そう思っただけです〞

(――…もし、本当に偶然じゃなかったんだとしたら…)

吉琳:どうしてジルは、私をあの国に招いたんでしょうか?
口からこぼれた言葉に、クロードさんが可笑しそうに目を細める。
クロード:わからないか? ジルは…――

***

――…吉琳がクロードから真実を告げられた、その数日後
ジル:…そういうことでしたか
ジルも親族の男から話を聞き、深く息をついた。
ジル:彼女が泣いていた理由が、ようやくわかりましたよ
ジル:私の立場を明かすと距離を置かれるかもしれないと思い、黙っていましたが…
ジル:それが裏目に出てしまいましたね
男性1:ジル…
ジル:嫌われたわけではないと知って、安心しました
男性1:君は…あの娘を諦めるつもりはないのか?
懇願するような言葉に、ジルは口角を持ち上げ満面の笑みを浮かべた。
ジル:残念ですが…――まだ諦められませんね
男性1:…そう言うと思ったよ
ジル:そもそも、財閥を大きく成長させたのは私ですから…
ジル:一つくらいはわがままを聞いていただきたいものです
男性1:……それを言われると何も言えないな
有無を言わさない笑みに、男性は肩を落として去っていく。
その様子を見送った後、ジルは机の上に置いていた携帯電話を手に取った。
ジル:――…おはようございます、クロード

【クロード:時差があるからこっちはこんばんはだ。】
【クロード:…で、何の用だ?】

ジル:貴方に吉琳のことでお願いがあるのですが…

【クロード:ああ、それが何かは知らないが、俺にできることはないよ】

ジル:どういうことです?

【クロード:吉琳なら、昨日の休みにこの国を飛び出していったからな】

ジル:は?

【クロード:たぶん、今頃は…――】

電話越しのクロードの声と重なるように、部屋の扉がノックされる。
???:ジル、いる…?
ジル:…! この声は……

***

扉を押し開けると、ちょうど携帯電話を耳から離したジルと視線が重なった。
ジル:なぜ、貴女がここに?
吉琳:ジルに、伝え忘れたことがあって
言葉を紡ぎながら、数日前にクロードさんと交わした会話を思い出す。

〝吉琳:どうしてジルは、私をあの国に招いたんでしょうか?〞
〝クロード:わからないか? ジルはお前に選んでもらいたかったんだよ〞
〝吉琳:え…〞
〝クロード:あいつは立場上、多くの縁談を持ち込まれてるらしいが…〞
〝クロード:昔知り合ったお前のことがずっと頭から離れなかったらしい〞
〝吉琳:それは…聞きました〞
〝クロード:なら、ジルが何を考えてたかも察しはつくだろ?〞
〝クロード:あいつは、ひと夏の可能性にかけたんだ〞
〝クロード:お前に選ばれなかったら、今度こそ諦めて縁談を受けるつもりでな〞

(――…立場も国も関係なく、ジルは最初から私を求めてくれた)

そんなジルの想いを、ごめんという言葉だけで跳ね除けてしまった。

(私の判断が間違ってるとか、間違ってないとか、それ以前に…)
(これだけは、言わなくちゃ)

吉琳:ジル、私…
吉琳:ジルのこと、大好きだよ
ジル:…………
吉琳:想いがないから恋人にならなかったわけじゃないの
吉琳:ただ…
ジル:理由なら、先ほど聞きましたよ
吉琳:え…?
苦しそうに眉を寄せたジルが、私の頭を抱き寄せて…――
ジル:本当に貴女という人は…――優しいですね
大切なものを抱くように頭を撫でられ、
離れていた間、ずっと求めてやまなかった温もりに、瞳に薄い膜が張りそうになった。
ジル:こんなところまで、わざわざ気持ちを伝えに来てくださるなんて
ジル:ますます貴女のことを好きになって…
ジル:このまま、離せなくなりそうです
吉琳:…っ…それは、困るよ

(好きって気持ちは伝えたかったけど…考えが変わったわけじゃない)

離れようとすると、ジルが腕に力を込めて……
ジル:では、言い方を変えます
ジル:私自身の幸せのために、もう一度考え直していただけませんか…?
吉琳:ジルの、幸せ……?
ジル:ええ
顔を上げると、切なげなジルの眼差しとぶつかる。
ジル:お互いに気持ちはあるのに離れなくてはならないのだとすれば…
ジル:私はきっと、不幸を感じずにはいられないでしょうね
吉琳:……っ

(そうだ…私、ジルに迷惑をかけないことばかりを考えてたけど…)
(ジルの気持ちを、考えてなかったかもしれない)

頑なだった意思が、その瞬間に音を立てて砕け散ったような気がした。
吉琳:……私が恋人になっても、ジルは困らない?
ジル:貴女が恋人になってくれない方が困ります
ジル:私は…貴女以外の女性と添い遂げるつもりはありませんから
優しいだけではない、頼もしさを感じる笑顔に、心が固まっていく。

(きっと、乗り越えなくちゃいけない問題はたくさんあるけど…)
(それでも、ジルが私を選んでくれるなら…)

決意を固め、ジルの頬にそっと唇を押し当てる。
吉琳:ジル…私を、本当の恋人にしてください
ジル:――…ええ、喜んで

(わ…)

想いを告げた瞬間、ジルの瞳が幸せそうに細められた。

(……この顔を見るだけで、私まで幸せになってくる)

ジル:ですが吉琳、せっかく恋人になったというのに頬にキスですか?
吉琳:え…っ、それは…
ジル:遠慮しないで、唇にしてくださっても構わないんですよ…?
悪戯っぽい眼差しに、頬がどんどん熱くなる。

(ドキドキするけど、ジルが幸せそうに笑うから…)

踵を上げて、ゆっくりと顔を近づけていく。
重なった熱は、夏の陽差しよりも暑いのに、ずっと優しく感じられた…――


fin.

 

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エピローグEpilogue:

後

――…彼と結ばれ、幸せな夏の夜を迎えたその後…
ジル:体が震えていますよ
吉琳:あ…これは……
ジル:寒くなったのでしたら、すぐに温めた方がよさそうですね
足を開かれ、一番熱くなっている場所に指先を押し当てられて…――
吉琳:ジル…っ……そこ、だめっ
ジル:だめと言われると、余計に触れたくなりますね
とろけるほど熱い夏は、まだ終わらない…

 

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